毛宗崗「読三国志法」ざっくり全訳。現行の三国志演義を編纂した人による演義の解説文だよ♪

三国志演義』は長年にわたって醸成されてきた三国志のお話の集大成のような本ですね。(三国志のお話は現在でもなお様々な発展をしていますが)
一口に『三国志演義』と言ってもいくつかの版本がありますが、現在普及しているのはもう宗崗そうこうとその父親が編纂したとされている版本のものです。
その版本は「毛宗崗本」と呼ばれています。

毛宗崗本の『三国志演義』には「読三国志法」という文章が添えられており、そこには毛宗崗の、三国志演義はこういうお話なんだよ、こういうところに注目して読んでほしい、という思いが記されています。
三国志演義』がどういう意図で編纂されたのかを知りたい方には興味のある文章だと思いますので、私のつたない読解力でざっくりと全訳をすることとしました。
大意をつかんでいただければいいという程度の訳ですので、詳細は原文と見比べてご確認下さい。
文意をつかみやすくするために所々区切って変な標題や個人的なまとめを入れてありますが気にしないで下さい。
(訳が大変すぎて後半は愚痴のようになっていますが気にしないで下さい)
きちんとした訳は三国志学会の機関誌『三國志研究』第十五号に五藤嵩也先生の「毛宗崗『讀三國志法』訳注」があるそうですのでそちらをご覧下さい。
私はそれが欲しかったのですが家族から「また勝手に三国志の本を買ったね!」と叱られそうで買えないので自分で訳すことにした次第です。時給換算なら買ったほうが絶対安い!。゚(゚´ω`゚)゚。
せっかく訳したのでシェアします……

※目次12以降の「『三国志演義』~」という題名で始まる部分は、『三国志演義』の技巧について細かく述べている箇所です。毛宗崗本のイデオロギー的な部分に興味のある方には前半が面白いと思います。
後半は『三国志演義』のレトリックや毛宗崗の『三国志演義』愛に興味のある方におすすめです。
読むのは面倒だけどどんなことが書いてある文章なのかだけ知りたいという方は、目次だけ見ていただければよろしいかと思います。

「蜀が正統、呉と魏は僭称、晋は乱世のゴタゴタだよ」

毛宗崗「読三国志法」、さっそく読んでみましょう。

讀《三國志》者,當知有正統、閏運、僭國之別。正統者何?蜀漢是也。僭國者何?吳、魏是也。閏運者何?晉是也。
【訳】
三国志を読むなら、正統、閏運、僭国の別を知るべきである。
正統たる者とは何か。蜀漢である。
僭国する者とは何か。呉、魏である。
閏運する者とは何か。晋である。

冒頭からさっそく、蜀が正統だよ、呉と魏は僭称だよ、晋は乱世のゴタゴタで国になっただけだよ、と言いたいようですね。

「魏は中心地を占拠しただけであって正統なのは劉氏の蜀だって朱子資治通鑑綱目を読めば分かるでしょ」

魏之不得為正統者,何也?論地則以中原為主,論理則以劉氏為主。論地不若論理,故以正統予魏者,司馬光《通鑑》之誤也。以正統予蜀者,紫陽《綱目》之所以為正也。《綱目》於獻帝建安之末,大書「後漢昭烈皇帝章武元年」,而以吳、魏分注其下。蓋以蜀為帝室之胄,在所當予:魏為篡國之賊,在所當奪。是以前則書「劉備起兵徐州討曹操」,後則書「漢丞相諸葛亮出師伐魏」,而大義昭然揭於千古矣。
【訳】
魏が正統たりえないのは何故か。
地を論ずるならば中原が主であり、理を論ずるならば劉氏が主である。
地を論ずることより理を論ずることのほうが優先である。
ゆえに魏を正統としているのは司馬光の『資治通鑑』の誤りである。
蜀を正統としているのは朱子の『資治通鑑綱目』が正しいゆえんである。
資治通鑑綱目』では献帝の建安年間の末に「後漢昭烈皇帝(※劉備のこと)の章武元年(※章武は蜀の元号)」とはっきり書いてあり、呉と魏はその下に注で書いてある。思うに、蜀は帝室の後裔として正統であるべきで、魏は国家を簒奪した賊とするべきであるということであろう。
資治通鑑』は「劉備が徐州で兵を興して曹操を討った」という書き方をしているが、『資治通鑑綱目』は「漢の丞相諸葛亮が軍を出し魏を伐った」という書き方をしており、大義を千古に明らかにさせようとしているのである。

魏は中原(中華の中心地)を占めていたけど、理からいえば劉氏(漢王朝の一族)が主であり、地よりも理のほうが優先だから蜀が正統でしょ。魏を正統とするなんて司馬光の『資治通鑑』がまちがっとる。朱子の『資治通鑑綱目』では蜀を漢王朝として扱って大義を千古に明らかにしているよね。こっちが正しいよ!と毛宗崗さんは言いたいようです。

 「正統なのは漢と唐宋だけ。唐宋も漢には及ばない。魏晋など論外!」

夫劉氏未亡,魏未混一,魏固不得為正統;迨乎劉氏已亡,晉已混一,而晉亦不得為正統者。何也?曰:晉以臣弒君,與魏無異,而一傳之後,厥祚不長,但可謂之閏運,而不可謂之正統也。至於東晉偏安,以牛易馬,愈不得以正統歸之。
【訳】
劉氏が滅んでおらず、魏が天下統一できていなかったからには、魏が正統たりうるはずがない。
劉氏が滅んでから晋が天下統一したが、晋もまた正統たりえない。それはなぜか。晋は臣下が君主を弑したので、魏とおんなじであり、国を継いでからも王朝が長く続かなかったので、乱世と言うべきであり、正統とは言えないのである。東晋が地方政権に甘んじたことにいたっては、牛を馬と入れ替えるようなもので、東晋を正統とすることはなおさらできない。
(※東晋元帝は母が牛金と密通したという疑いがあり、「以牛易馬(牛を馬と入れ替える)」とは不義の子で血統がすりかわってしまったと暗に言っている)

魏って君主を弑したんでしたっけか?
それはさておき、劉氏を滅ぼすこともできず天下統一もできなかった魏が正統なはずないし、晋は君主を弑しているから全然素敵じゃないし王朝も短命だから正統っていうか乱世の一コマにすぎないでしょ、東晋なんか地方政権だから論外だし、というようなことが書いてありますね。フムフム。

故三國之併吞於晉,猶六國之混一於秦,五代之混一於隋耳。秦不過為漢驅除,隋不過為唐驅除。前之正統,以漢為主,而秦與魏、晉不得與焉;亦猶後之正統,以唐宋為主,而宋、齊、梁、陳、隋、梁、唐、晉、漢、周俱不得與焉耳。
【訳】
三国が晋に併呑されたのは、六国が秦に統一され、五代が隋に統一されたようなものに過ぎない。秦は漢に駆除されたに過ぎないし、隋は唐に駆除されたに過ぎない。
前の正統は漢が主であり、秦と魏晋は正統たりえない。
後の正統が唐宋を主として、宋、斉、梁、陳、隋、後梁後唐後晋後漢、後周は正統たりえないのと同じである。

魏や晋は天下がちゃんとした王朝に渡るまでのかりそめのもので、正統じゃないでしょ。五代十国が正統じゃないのと同じだよ。と言いたいようですね。ふうん、漢と唐宋は正統だけど他の短命王朝は正統じゃないんですか毛宗崗さん。へえ。

且不特魏、晉不如漢之為正,即唐、宋亦不如漢之為正。煬帝無道,而唐代之,是已惜其不能顯然如周之代商;而稱唐公,加九錫,以蹈魏晉之陋轍,則得天下之正不如漢也。
若夫宋以忠厚立國,又多名臣大儒出乎其間,故尚論者以正統予宋。然終宋之世,燕雲十六州未入版圖,其規模已遜於唐;而陳橋兵變,黃袍加身,取天下於孤兒寡婦之手,則得天下之正亦不如漢也。唐、宋且不如漢,而何論魏、晉哉?
【訳】
また、魏晋ばかりが漢の正統におよばないわけではない。唐宋も漢の正統には及ばないのである。
煬帝は無道であり、唐が隋にとってかわったが、周が殷にとってかわったようにはできなかったのが残念なところである。また、唐公を称して九錫(皇帝のシンボルアイテム)を受けたことは魏晋の下劣なやり方を踏襲しているため、天下の正統さは漢に及ばないのである。
宋は忠実寛厚をもって国をたて、多くの名臣大儒を輩出したために、論者は宋を正統とするのである。しかし宋のあいだは燕雲十六州は版図に入らず、その規模は唐におとるものであった。それに、(宋の始祖の趙匡胤は)陳橋の変で(皇帝の色である)黄色の服を着て孤児と寡婦の手から天下を取ったが、天下の取り方の正しさは漢には及ばない。
唐宋でさえ漢には及ばないのだから、魏晋など論外である。

さっきは漢と唐宋だけが正統だと言っていましたが、ここでは唐宋も漢には及ばないと言っていますね。
唐宋でさえ漢には及ばないのだから、魏晋など論外である、ですと。
漢爆あげキャンペーンからの蜀爆あげキャンペーンへのフラグですね。

「天下統一してなくたって蜀漢は正統なんだから!血筋もはっきりしてるよ」

高帝以除暴秦、擊楚之殺義帝者而興,光武以誅王莽而克復舊物,昭烈以討曹操而存漢祀於西川。
祖宗之創之者正,而子孫之繼之者亦正,不得但以光武之混一為正統,而謂昭烈之偏安非正統也。
【訳】
高祖皇帝が暴虐な秦を除き楚の義帝を殺して漢を興し、光武帝が王莽を誅して旧来の王朝を復活させ、昭烈皇帝(劉備)が曹操を討って四川に漢のまつりを存続させた。
王朝の創設者は正であり、子孫がこれを継ぐのもまた正である。
光武帝が天下を統一したことだけが正統であって昭烈皇帝が地方政権に甘んじたことは正統でないなどというはずはないのである。

さっき漢が正統であると力説していましたね。この段落からは、蜀が漢の正統を継ぐ者であるということを力説するようです。

昭烈為正統,而劉裕、劉知遠亦皆劉氏子孫,其不得為正統者,何也?曰:裕與知遠之為漢苗裔,遠而無徵,不若中山靖王之後,近而可考。又二劉皆以篡弒得國,故不得與昭烈並也。
【訳】
昭烈皇帝は正統であるが、同じく劉氏の子孫である劉裕と劉知遠は正統たりえない。それは何故か。劉裕と劉知遠が漢の血筋であるというのは遠すぎて信憑性がない。昭烈皇帝が中山靖王の子孫であるのは近くて考証できるが、劉裕と劉知遠はそのケースと同じではない。また、二劉は簒奪弑殺して国を得たのであって、昭烈皇帝と同列ではありえない。

この部分は、蜀漢なんて劉氏の子孫を名乗ったアヤシゲな王朝なんじゃないの、という疑問を封じる予防線ですね。蜀漢は他の劉氏の王朝とは違うよ、ガチで正統なんだよ、と言いたいようです。

後唐李存勗之不得為正統者,何也?曰:存勗本非李而賜姓李,其與呂秦、牛晉不甚相遠,故亦不得與昭烈並也。
【訳】
後唐の李存勗(りそんきょく)が正統たりえないのはなぜか。
李存勗はもとは李姓ではなく、李姓を賜ったのである。
秦の始皇帝が秦の王室の血をついでいないことや、東晋元帝が晋の王室の血をひいていないこととあまり違わない(※)。
よって李存勗も昭烈皇帝と同列ではありえない。
(※)原文の「呂秦」「牛晋」という言葉は、始皇帝は母親が呂不韋と密通してできた子であるという話や、元帝は母親が牛金と密通してできた子であるという話をふまえたもの。

南唐李昪之亦不得繼唐而為正統者,何也?曰:世遠代遐,亦裕與知遠者比,故亦不得與昭烈並也。
【訳】
南唐の李昪(りべん)もまた唐を継ぎながら正統たりえないのはなぜか。
世代がはるか後であり、劉裕や劉知遠と同じようなもので、これもまた昭烈皇帝とは同列たりえないのである。

この後唐南唐の話も、蜀漢は彼らみたいにアヤシゲじゃないんだよ、ガチで正統なんだよ、と言いたいようですね。

南唐李昪不得繼唐而為正統,南宋高宗獨得繼宋而為正統者,何也?高宗立太祖之後為後,以延宋祚於不絕,故正統歸焉。夫以高宗之殺岳飛、用秦檜,全不以二聖為念,作史者尚以其延宋祚而歸之以正統,況昭烈之君臣同心、誓討漢賊者乎?則昭烈之為正統,愈無疑也。
【訳】
南唐の李昪が唐を継ぎながら正統たりえないのに、南宋の高宗だけ宋を継いだ正統な者になれるのはなぜか。
高宗は太祖の後裔を後継とし、宋の宗室を延命させ絶やさなかった。ゆえに正統はこれに帰するのである。
高宗が岳飛を殺して秦檜を用いたことは全く二聖を思わないものであるが、それでも史家は宋の宗室を延命させたことをもって高宗を正統としている。
(岳飛を殺した高宗でさえ正統なのだから)昭烈皇帝が君臣心を一つにして漢の賊を討つことを誓った態度はなおさらである。
昭烈皇帝が正統なのはいよいよ疑いがない。

冒頭からここまで、ずーっと「蜀漢は正統なんだー!」と言いたいための話でしたね。
一つのことを説明するのにずいぶん長いです!

陳寿の『三国志』では蜀の正統がはっきり書かれてないから私が朱子の『資治通鑑綱目』と折衷して三国志演義でキッチリ書いてあげましたよ!」

さて、ここまでえんえんと蜀漢が正統な理由を言ってきた毛宗崗さん。
これから大事なことを言いますよ。

陳壽之《志》未及辨此,余故折衷於紫陽《綱目》,而特於演義中附正之。
【訳】
陳寿の『三国志』はここのところをわきまえていないから、私が朱子の『資治通鑑綱目』と折衷して、スペシャルに『三国志演義』の中で正してあげちゃいます!

要は、毛宗崗さんは正史『三国志』で蜀が正統だとされていないのが不満だ、って言いたいようですね。で、今どき流行りの朱子の解釈にそって、蜀漢正統論にのっとった三国志演義を私がスペシャルにプレゼンツ! と、ここで高らかに宣言しております。
ほーん、『三国志演義』ってそういう話だったんや……

「話変わって、三国志の魅力。才と才のしのぎ合い、一才が衆才に勝つ」

三国志演義』は蜀漢正統論でつづっているよ!というのがここまでの話でしたね。
ここから先は話変わって、三国志の魅力についてです。

古史甚多,而人獨貪看《三國志》者,以古今人才之聚,未有盛於三國者也。觀才與不才敵不奇,觀才與才敵則奇;觀才與才敵,而一才又遇眾才之匹不奇,觀才與才敵,而眾才尤讓一才之勝則更奇。
【訳】
昔の歴史書はとてもたくさんあるが、人々が『三国志』ばかりをむさぼり読むのは、古今において才ある者のあつまることが三国時代より盛んな時がなかったからである。
才ある者が不才の者と競うのを見ても面白くないが、才ある者と才ある者が競うのを見るのは面白い。
才ある者と才ある者が競うのを見ても、一人の才ある者がたくさんの才ある者に匹敵するだけでは面白くない。才ある者と才ある者が競い、たくさんの才ある者が一人の才ある者に勝ちを譲るのがさらに面白いのである。

「三国に三絶あり。賢相:諸葛亮、名将:関羽、奸雄:曹操

続いて、三国志の魅力の話。三国志をいろどる才能たちのお話です。

吾以為《三國》有三奇,可稱三絕:諸葛孔明一絕也,關雲長一絕也,曹操亦一絕也。
【訳】
われ思えらく、三国に三奇あり。三絶と呼ぶべし。
諸葛孔明、一絶なり。関雲長、一絶なり。曹操もまた一絶なり。

訳が書き下し文みたいになりましたが、意味は通じます……?
「わしな、三国に三人の奇才がおると思うんよ。三絶って呼んでんか。孔明関羽曹操やねん」

さてその三絶について、まずは諸葛亮の説明です。

歷稽載籍,賢相林立,而名高萬古者,莫如孔明。其處而彈琴抱膝,居然隱士風流;出而羽扇綸巾,不改雅度。在草廬之中,而識三分天下,則達乎天時;承顧命之重,而至六出祁山,則盡乎人事。七擒八陣,木牛流馬,既已疑鬼疑神之不測;鞠躬盡瘁,志決身殲,仍是為臣為子之用心。比管樂則過之,比伊呂則兼之,是古今來賢相中第一奇人。
【訳】
文献をつらつら鑑みるに、賢相は林立しているが、万古に名高いこと孔明のごとき者はいない。隠栖しては弾琴を膝に抱え、居ながらにして隠士の風流があり、出ては羽扇綸巾を身につけ、高雅な風情は変わることはなかった。草廬の中にありて天下三分を知り天の時に達し、大命を受けては六度祁山に出て人事を尽くした。七擒八陣、木牛流馬、鬼か神かと疑うほどの不測の計を用い、鞠躬尽瘁して身を滅ぼす覚悟を抱いたのは、「為臣死忠、為子死孝(臣は忠に命を捧げ子は孝に命を捧げる)」の精神である。管仲楽毅以上であり、伊尹・呂尚を兼ねる、古今の賢相の中の第一の奇人(傑物)である。

うーむ、『三国志演義』に描かれている孔明像の紹介でありながら、管仲楽毅や伊尹・呂尚と比べられると違和感がありますね。『封神演義』の呂尚像との比較ならなんとかできるかもしれませんが……
伊尹を引き合いに出すのも微妙なチョイスだと感じます。伊尹は忠臣として語られることが多いですが、終生劉禅を立てた諸葛亮とは路線が異なる人物です。
毛宗崗さんは諸葛亮をどう思っているのか気になるところです。
関連記事:簒奪ルートのフラグ?司馬懿を伊尹にたとえた意味とは

正史『三国志』の注釈に引用されている諸葛亮の後出師の表に「鞠躬尽力」(身をかがめて力を尽くす)というフレーズがありますが、後代「鞠躬尽瘁」(身をかがめてへろへろになるまでやる)というフレーズ(※)として語られることも増えた様子で、「読三国志法」でも『三国志演義』でもへろへろになるまでやるほうを採用していますね。
(※南宋文天祥のもと部下である王炎午は文天祥が忠臣のまま死ねるよう励ますために文天祥がまだ生きているのに「生祭文丞相文」という弔辞(?)を書きましたが、その中にこのフレーズがあります。⇒関連記事:後出師の表の「鞠躬尽力」を「鞠躬尽瘁」に変えたのは文天祥なのか?)

「為臣死忠、為子死孝(臣は忠に命を捧げ子は孝に命を捧げる)」というのはずいぶんと「儒教的な」思想ですね。このフレーズは明代あたりから人口に膾炙したようですが、南宋文天祥の「沁園春·題潮陽張許二公廟」という詞の冒頭が「為子死孝為臣死忠」という句です。
(また文天祥ですね。南宋の忠臣である文天祥はとかく諸葛亮と重ねられがちだったのでしょう)

話が脱線してしまいましたが、三絶のトップバッター諸葛亮の紹介文は「古今の賢相の中の第一の奇人(傑物)」だそうです。
続いては三絶の二人目、関羽の説明です。

歷稽載籍,名將如雲,而絕倫超群者,莫如雲長。青史對青燈,則極其儒雅;赤心如赤面,則極其英靈。秉燭達旦,人傳其大節;單刀赴會,世服其神威。獨行千里,報主之志堅;義釋華容,酬恩之誼重。作事如青天白日,待人如霽月光風。心則趙抃焚香告帝之心,而磊落過之;意則阮籍白眼傲物之意,而嚴正過之:是古今來名將中第一奇人。
【訳】
文献をつらつら鑑みるに、名称は雲のごとくいるが、群を抜くこと雲長のごとき者はない。灯火の前で史書を読むこと儒雅を極め、赤心(真心)は赤い顔のごとく(※演義関羽の顔が目立って真っ赤だったように関羽の真心も際立っているという意味でしょう)、英霊を極めている。朝まで灯火を取り大節を伝え、単刀赴会で世はその神威に服した。千里独行においては主に報いる志かたく、華容で義をもって曹操を釈したことは恩に報いることの重さを知らしめた。事にあたっては青天白日のごとく、人に対しては霽月風光(せいげつ)のごとくである。心は趙抃(ちょうべん)が毎日お香を焚き天帝に自分の一日を報告したようであり(※天に恥じないような生き方をしていたという意味でしょう)、磊落さでは趙抃に勝っていた。意は阮籍がくだらぬ者を白眼視したようであり、厳正さでは阮籍に勝っていた。古今の名将の中の第一の奇人(傑物)である。

「青史對青燈(灯火の前で史書を読み)~、赤心如赤面(真心は赤い顔のごとく)~」という部分は、色彩を意識したレトリックで面白いですね。
演義関羽の、真心がありさっぱりとしていて威厳のある様子を述べ、「古今の名将の中の第一の奇人(傑物)である」と言っていますね。
続いては三絶の三人目、曹操の説明です。

歷稽載籍,奸雄接踵,而智足以攬人才而欺天下者,莫如曹操。聽荀彧勤王之說,而自比周文,則有似乎忠;黜袁術僭號之非,而願為曹侯,則有似乎順;不殺陳琳而愛其才,則有似乎寬;不追關公以全其志,則有似乎義。王敦不能用郭璞,而操之得士過之;桓溫不能識王猛,而操之知人過之。李林甫雖能制祿山,不如操之擊烏桓於塞外;韓侂胄雖能貶秦檜,不若操之討董卓於生前。竊國家之柄而姑存其號,異於王莽之顯然弒君;留改革之事以俟其兒,勝於劉裕之急欲篡晉:是古今來奸雄中第一奇人。
【訳】
文献をつらつら鑑みるに、奸雄は踵を接するがごとく絶えずいるが、智は人材を掌握するに足り、天下を欺くこと、曹操のごとき者はいない。荀彧の勤王の説に耳を傾け、自らを周の文公になぞらえたことは、忠であるかのようである。袁術が皇帝を僭称したことの非をしりぞけ、自らは曹侯たらんことを願ったことは、順であるかのようである。陳琳を殺さずその才を愛したことは、寛であるかのようである。関公を追わずにその志を全うさせたことは、義であるかのようである。王敦は郭璞を用いることができなかったが、曹操が士を得ることは王敦に勝っている。桓温は王猛の人物を知ることができなかったが、曹操が人を知ることは桓温に勝っている。李林甫は安禄山を制することができたが、曹操烏桓を塞外で撃ったのには及ばない。韓侂胄(かんたくちゅう)は秦檜の没後に秦檜を貶めることはできたが、曹操が生前の董卓を討ったことには及ばない。国家の権柄を盗んでいながら国号を保っていたことは、王莽が公然と君主を弑した(※平帝毒殺疑惑のことでしょうか)のとは異なっている。易姓革命を息子に保留したことは、劉裕が急いで晋を簒奪しようとしたことに勝っている。古今の奸雄の中の第一の奇人(傑物)である。

曹操は忠臣づらして上手に国家の実権を掌握しました、他の奸雄たちより上手です、古今の奸雄の中の第一の奇人(傑物)です、という趣旨ですね。

さて、三国の三大奇人を紹介したところで、この三人がいるから三国志は面白いよね、というまとめが続きます。

有此三奇,乃前後史之所絕無者。故讀遍諸史,而愈不得不喜讀《三國志》也。
【訳】
こんな三奇がいることは、前後の歴史には絶えてない。ゆえに、歴史書をあまねく読んでいても、いよいよ『三国志』を好きにならずにはいられないのである。

演義ベースの業績に基づいて三人の魅力を語っておきながら、最後に「歴史書をあまねく読んでいても、いよいよ『三国志』を好きにならずにはいられない」というふうにまとめられると、ズコッ、となりますね。
演義と正史の混同はこの頃にすでにあったんですね……
事実への脚色はおそらく正史にも皆無ではないでしょうからいい(?)んですが。
それはさておき毛宗崗さんのおっしゃることは分かりました。
賢相のなかの賢相諸葛亮、名将のなかの名将関羽、奸雄のなかの奸雄曹操が同じ時代に活躍しているから三国志は面白い、ということですね!

「その他にも空前絶後の人材やきらめく人材がいる!」

次の部分では、さっきの三絶の他にも空前絶後の人材やきらめく人材がいっぱいいるよ、ということが述べられます。

三國之有三絕,固已。然吾自三絕而外,更遍觀乎三國之前、三國之後,問有運籌帷幄,如徐庶龐統者乎?問有行軍用兵,如周瑜陸遜司馬懿者乎?
【訳】
三国に三絶があるのはもとより、三絶以外にも、三国の前・三国の後をあまねく見たところ、はかりごとを帷幄にめぐらすこと徐庶龐統のごとき者がいるだろうか。行軍用兵に周瑜陸遜司馬懿のごとき者がいるだろうか。

問有料人料事,如郭嘉、程昱、荀彧、賈詡、步騭、虞翻、顧雍、張昭者乎?
【訳】
人を見抜き事態を見抜くこと郭嘉、程昱、荀彧、賈詡、步騭、虞翻、顧雍、張昭のごとき者がいるだろうか。

問有武功將略邁等越倫,如張飛趙雲、黃忠、嚴顏、張遼徐晃、徐盛、朱桓者乎?
【訳】
武功将略の人に過ぎること、張飛趙雲、黃忠、厳顏、張遼徐晃、徐盛、朱桓のごとき者がいるだろうか。

問有衝鋒陷陣驍銳莫當,如馬超馬岱、關興、張苞、許褚、典韋張郃夏侯惇、黃蓋、周泰甘寧太史慈丁奉者乎?
【訳】
敵陣をつき陣を陥れ驍鋭当たるものなきこと、馬超馬岱関興張苞、許褚、典韋張郃夏侯惇、黃蓋、周泰甘寧太史慈丁奉のごとき者がいるだろうか。

三国志の人物を大量に挙げながら、後にも先にもこんな人物がいるだろうかと褒めちぎっていますが、全部が全部空前絶後の人材だって言うんでしょうかね。
ちょっと毛宗崗さん、三国志ばっかり大好きすぎるんじゃ……

問有兩才相當、兩賢相遇,如姜維、鄧艾之智勇悉敵,羊祜、陸抗之從容互鎮者乎?
【訳】
両才あい当たり、両賢あい遇すること、姜維、鄧艾の知勇がしのぎを削るがごとく、羊祜、陸抗の従容として互いに鎮守し合うがごとき者がいるだろうか。

至於道學則馬融、鄭玄,文藻則蔡邕、王粲,穎捷則曹植、楊修,蚤慧則諸葛恪、鍾會,應對則秦宓、張松,舌辯則李恢、闞澤,不辱君命則趙諮、鄧芝,飛書馳檄則陳琳、阮瑀,治煩理劇則蔣琬、董允,揚譽蜚聲則馬良、荀爽,好古則杜預,博物則張華,求之別籍,俱未易一一見也。
【訳】
道学では馬融・鄭玄、文章では蔡邕・王粲、機知では曹植・楊修、早熟では諸葛恪・鍾会、応対では秦宓・張松、弁舌では李恢・闞沢、君命を辱めざることでは趙諮・鄧芝、書を飛ばし檄文を馳せることでは陳琳・阮瑀、煩雑な事務を処理することでは蔣琬・董允、名声では馬良・荀爽、古典を好むことでは杜預、博物では張華。これらのような人材を別の書籍に求めても一つ一つ見つけ出すことは難しいであろう。

乃若知賢則有司馬徽之哲,勵操則有管寧之高,隱居則有崔州平、石廣元、孟公威之逸,忤姦則有孔融之正,觸邪則有趙彥之直,斥惡則有禰衡之豪,罵賊則有吉平之壯,殉國則有董承、伏完之賢,捐生則有耿紀、韋晃之節。
【訳】
知賢には司馬徽の哲あり、励操(節操を励ます)には管寧の高あり、隠居には崔州平・石広元・孟公威の逸あり、忤姦(邪なことに逆らう)には孔融の正あり、触邪(邪なことを見分ける)には趙彦の直あり、斥悪(悪をあげつらう)には禰衡の豪あり、罵賊には吉平の壮あり、殉国には董承・伏完の賢あり、捐生(命を捨てる)には耿紀・韋晃の節あり。

子死於父,則有劉諶、關平之孝;臣死於君,則有諸葛瞻、諸葛尚之忠;部曲死於主帥,則有趙累周倉之義。
【訳】
子が父のために死ぬことには劉諶・関平の孝あり、臣が主君のために死ぬことには諸葛瞻・諸葛尚の忠あり、部曲が主帥のために死ぬことには趙累周倉の義あり。

おや、「~のために死ぬことには」シリーズの例は蜀の顔ぶればかりですね!?

其他早計如田豐,苦口如王累,矢貞如沮授,不屈如張任,輕財篤友如魯肅,事主不二心如諸葛瑾,不畏強禦如陳泰,視死如歸如王經,獨存介性如司馬孚,炳炳燐燐,照耀史冊。
【訳】
その他、計略の回転が速い田豊のような者、耳に痛い諫言をする王累のような者、矢のようにまっすぐな沮授のような者、不屈の張任のような者、財を軽んじ友情に厚い魯肅のような者、君主に仕えてはニ心を抱かない諸葛瑾のような者、権柄を恐れない陳泰のような者、死を見ること帰するがごとき王経のような者、不羈であること司馬孚のような者、きらめくがごとく史書を照らしている。

三絶以外の空前絶後の人材を列挙するこのパートの中で、徐庶が冒頭の「三国に三絶があるのはもとより、三絶以外にも、三国の前・三国の後をあまねく見たところ、はかりごとを帷幄にめぐらすこと徐庶龐統のごとき者がいるだろうか」で言及されていたのに対し、魯粛がこんな下のほうの「その他、」のところでやっと出てくるのは釈然としませんねぇ。
実際『三国志演義』の中での魯粛の扱いはこのあたりなのかもしれませんが……
で、「きらめくがごとく史書を照らしている」なんて、史書ベースみたいに言われると、いま演義の話をしているのか歴史書の話をしているのかどっちなんですか、と混乱してしまうのですが(三絶の話をしていた時は明らかに演義ベースでしたよね)、毛宗崗さんが生きていた頃は現代のように演義と歴史書を混同して語ると人間扱いされない(?)ようなシビアな時代ではなかったのでしょう、きっと。

殆舉前之豐沛三傑、商山四皓、雲臺諸將、富春客星,後之瀛洲學士、麟閣功臣、杯酒節度、柴市宰相,分見於各朝之千百年者,奔合輜湊於三國之一時,豈非人才一大都會哉!入鄧林而選名材,游玄圃而見積玉,收不勝收,接不暇接,吾於《三國》有觀止之嘆矣。
【訳】
先の豊沛三傑・商山四皓・雲台諸将・富春客星(豊沛~客星、いずれも漢の高祖や光武帝にゆかりの人物たち)、後の瀛洲学士・麟閣功臣・杯酒節度・柴市宰相(瀛洲~宰相、いずれも唐(?)から宋の功臣のことだと思いますが私には分からない人もいます)、各王朝の百年千年に分布している者をざっと挙げ、三国の一時に凝縮させれば、人材の一大都会に違いない。鄧林に入って名材を選び、玄圃(崑崙の上にある仙人の住む場所)に遊んで玉を積むがごとく、取っても取りきれず、拾うにいとまがないほどである。私は「三国」にたいしては観止の嘆(素晴らしすぎてお腹いっぱいなこと)があるばかりである。

ここまで、三国には人材がいっぱいいて素晴らしすぎる!というお話でした。

「構成が巧みである!三国の前後も書いてあること、似た条件のライバルがいること、三人の活躍にタイムラグがあること。そこらの稗官小説よりはるかに勝っている!」

ここからは作品の構成の巧みさが述べられます。

 《三國》一書,乃文章之最妙者。敘三國,不自三國始也,三國必有所自始,則始之以漢帝。敘三國,不自三國終也,三國必有所言終,則終之以晉國。
【訳】
「三国」の書(※どうもこの文章の中では「三国」といえば『三国志演義』のことのようですね)は文章が最高に絶妙である。
三国を叙述するのに三国から始まらない。三国には始まりがあるはずであるから、漢の帝から始めるのである。
三国を叙述するのに三国では終わらない。三国には終わりがあるはずであるから、晋国で終わるのである。

毛宗崗のこの指摘は慧眼ですね。
確かに、三つの国がありました、戦いました、滅びました、では面白くありません。
漢の国がありました、分かれました、戦いました、晋の国に統一されました、のほうがエモいです。

而不但此也,劉備以帝胄而纘統,則有宗室如劉表劉璋、劉繇、劉辟等以陪之;曹操以強臣而專制,則有廢立如董卓,亂國如李傕、郭汜以陪之。孫權以方侯而分鼎,則有僭號如袁術,稱雄如袁紹,割據如呂布公孫瓚張楊、張邈、張魯、張繡等以陪之。
【訳】
それだけではない。劉備は帝室の血筋を以て正統を継ぐのだが、宗室の者としては劉表劉璋、劉繇、劉辟らも並んでいる。曹操は強い臣下を以て専制をしくのだが、帝を廃立する董卓のような者、国を乱す李傕、郭汜のような者も並んでいる。孫権は地方の諸侯から三国鼎立のうちの一つとなったが、皇帝を僭称する袁術のような者、雄を称する袁紹のような者、割拠する呂布公孫瓚張楊・張邈・張魯・張繡らのような者たちが並んでいる並んでいる。

似たような条件のライバルがいるから面白いんだ、ということですね。

劉備曹操,於第一回出名,而孫權則於第七回方出名。曹氏之定許都,在第十一回;孫氏之定江東,在第十二回;而劉氏之取西川,則在第六十回後。假令今人作稗官,欲平空擬一《三國》之事,勢必劈頭便敘三人,三人便各據一國,有能如是之統乎其前、出乎其後,多方以盤旋乎其左右者哉?
【訳】
劉備曹操は第一回で名前が出てくるが、孫権は第七回でやっと名前が出てくる。曹氏が許都を平らげるのは第十一回で、孫権が江東を平らげるのは第十二回だが、劉氏が四川を取るのは第六十回より後である。もし今の人が稗官(はいかん。民間伝承などを集めて記録する人)となって「三国」のことをまねしようとすれば、きっとのっけから三人のことを描写し、三人はそれぞれ一国を占めさせるだろう。その前の統一やその後のことまで書けるだろうか。その左右まで描けるであろうか。

冒頭から三人が同時に出てきて三国鼎立しました、という語りだと単調ですが、『三国志演義』はそうじゃないからすごい、という指摘ですね。

古事所傳,天然有此等波瀾,天然有此等層折,以成絕世妙文。然則讀《三國》一書,誠勝讀稗官萬萬耳。 
【訳】
古典の伝えるものは自然にこのような波瀾があり、自然にこのような曲折があって、それで絶世の妙文となるのである。であるから、『三国志演義』を読むことは稗官小説(講談みたいな物語のたぐい)を読むことよりも遙かに勝るのである。

三国志演義』の揺さぶるような文章構成はそこらの稗官小説よりも遙かにまさっているということですね。
そうですか……『三国志演義』は稗官小説じゃなかったんだね……
確かに、『三国志演義』は巷で作られっぱなしの小説ではなくて、読書人たちがブラッシュアップしていますから、一般的な稗官小説と比べると大層できがいいに違いないですね。(一般的な稗官小説がどんなのか知りませんが。『宋史通俗演義』をペラペラ覗いてみた感じでは『三国志演義』のほうが面白そうな気がしましたし、『三国志平話』より『三国志演義』のほうが話の粗は少ないです)

「三国それぞれモチベーションも課題も違うところが上手い。ヘタクソな作者なら似たような人物を並べるだろう」

ここからは、三国それぞれで違う部分があるという話です。三国の異なる点を六つ挙げて、それが『三国志演義』の魅力だと説きます。

若論三國開基之主,人盡知為劉備、孫權、曹操也,而不知其間各有不同。
【訳】
三国の開祖といえば劉備孫権曹操だということはみんな知っているが、三者それぞれ異なるところがあることは知られていない。

備與操皆自我身而創業,而孫權則籍父兄之力,其不同者一。
【訳】
劉備曹操は自分で起業したが、孫権は父兄の力を借りている。異なる点の一つ目である。

備與權皆及身而為帝,而操則不自為而待之於其子孫,其不同者二。
【訳】
劉備孫権は自分で皇帝になったが、曹操は自分では皇帝にならず子孫が皇帝になるのを期待した。異なる点の二つ目である。

三國之稱帝也,惟魏獨早,而蜀則稱帝於曹操已死、曹丕已立之餘,吳則稱帝於劉備已死、劉禪已立之後,其不同者三。
【訳】
三国が皇帝を称したのは、魏だけが早く、蜀が皇帝を称したのは曹操が死去して曹丕が立ってからで、呉が皇帝を称するのは劉備が死去して劉禅が立った後である。異なる点の三つ目である。

三國之相持也,吳為蜀之鄰,魏為蜀之讐;蜀與吳有和有戰,而蜀與魏則有戰無和;吳與蜀則和多於戰,吳與魏則戰多於和,其不同者四。
【訳】
三国が対峙しあう様子は、呉は蜀の仲間であり、魏は蜀の仇である。蜀は呉とは和すこともあれば戦うこともあるが、魏とは戦はあっても和すことはない。呉は蜀とは戦うことよりも和すことのほうが多いが、魏とは和すことよりも戦うことのほうが多い。異なる点の四つ目である。

三國之傳也,蜀止二世,魏則自丕及奐凡五主,吳則自權及皓凡四主,其不同者五。
【訳】
三国が代を伝えることは、蜀は二代で終わり、魏は曹丕から曹奐までで五主であり、呉は孫権から孫皓までで四主である。異なる点の五つ目である。

三國之亡也,吳居其後,而蜀先之,魏次之。魏則見奪於其臣,吳、蜀則見並於其敵,其不同者六。
【訳】
三国の滅亡は、呉が最後で、蜀が最初、魏は蜀の次である。魏はその臣に簒奪され、呉・蜀はその敵に併呑された。異なる点の六つ目である。

不寧惟是,策之與權,則兄終而弟及;丕之與植,則舍弟而立兄;備之與禪,則父為帝而子為虜;操之與丕,則父為臣而子為君:可謂參差錯落,變化無方者矣。
【訳】
それだけではない。孫策孫権は兄が亡くなって弟が立ったが、曹丕曹植は弟を排して兄が立った。劉備劉禅は、父が皇帝となり子は虜となった。曹操曹丕は、父は臣であって子は君主となった。錯綜すること変化無辺というべきである。

今之不善畫者,雖使繪兩人,亦必彼此同貌。今之不善歌者,即使唱兩調,亦必前後同聲。文之合掌,往往類是。古人本無雷同之事,而今人好為雷同之文。則何不取余所批《三國志》而讀之? 
【訳】
今のヘタクソな画家に二人の人物を描かせればきっと同じ顔に描くだろう。
今のヘタクソな歌手に二つの曲調を歌わせればきっと同じ声で歌うだろう。
文の構成も往々にしてこのたぐいである。昔の人はもとより雷同することはなかったが、今の人は雷同の文を好む。
私が評した『三国志演義』を手にとって読んだらいいじゃないか、おぉん!?
(※原文には「おぉん!?」とはありませんが反語表現の語気をこのように訳しました)

それぞれの事情が異なり錯綜しているところがこれまた面白いところなんだよ。ヘタクソな作者なら似たようなものを並べるだけだろうけどね。だから毛宗崗本三国志演義を読めってばよ!というお話でした。

この先の文章は、やりすぎの食レポのような気配が……※個人的感想です

さて、ここから先は、「三国一書(『三国志演義』には)~三国一書~」という形で『三国志演義』の素晴らしい点を列挙する文章が始まります。
素晴らしい点というのが若干こじつけめいて見えるものがあったり、具体例が演義のダイジェストをやりたいだけなんじゃないのかと思うような感じがあったりで、個人的には やりすぎの食レポを聞いているような感覚になったのですが、頑張って日本語っぽくしてみました。
この先の「三国一書~三国一書~」ラッシュが終わると、まとめの文章となり、「読三国志法」完結となります。

「『三国志演義』は六つのストーリーを内包している」

《三國》一書,總起總結之中,又有六起六結。
【訳】
三国志演義』には全体の始まり~終わりの中に六つの始まり~終わりがある。

其敘獻帝,則以董卓廢立為一起,以曹丕篡奪為一結;
其敘西蜀,則以成都稱帝為一起,而以綿竹出降為一結;
其敘劉、關、張三人,則以桃園結義為一起,而以白帝託孤為一結。
其敘諸葛亮,則以三顧草廬為一起,而以六出祁山為一結;
其敘魏國,則以黃初改元為一起,而以司馬受禪為一結;
其敘東吳,則以孫堅匿璽為一起,而以孫皓銜璧為一結。
【訳】
献帝董卓に廃立されてから曹丕が簒奪するまで。
西蜀が成都で皇帝を称してから綿竹(の敗戦)で降伏するまで。
劉備関羽張飛の三人が桃園の誓いを交わしてから白帝城で(劉備が遺言で諸葛亮に)皇太子を託すまで。
諸葛亮三顧の礼を受けてから祁山に六度目の北伐を行うまで。
魏国の黄初の改元(曹丕の皇帝即位)から司馬氏が禅譲を受けるまで。
東呉の孫堅が玉璽を秘匿してから孫皓が降伏するまで。

凡此數段文字,聯絡交互於其間,或此方起而彼已結,或此未結而彼又起。讀之不見其斷續之跡,而按之則自有章法之可知也。
【訳】
およそ数段の文字に交互の連絡があり、こちらが始まればあちらが終わり、こちらが終わらないうちにあちらが始まる。これを読んでも断続の後は見えないが、分析してみればおのずと文章の秩序が知れるのである。

 『三国志演義』全体のストーリーの中に、六つのストーリーが含まれているという話ですね。
それらが途切れることなく、あるものは始まりあるものは終わりと重なり合いながらリレーされており、自然な形でひとつの話にまとまっているのがすごいということでしょうか。
意識的に見ていなければ気付かないけれども六つのストーリーが入っていてすごいんだよ、という指摘でした。

「『三国志演義』には出来事の原因を追求する妙がある」

 《三國》一書,有追本窮源之妙。
【訳】
三国志演義』には出来事の原因を追及する妙がある。

三國之分,由於諸鎮之角立。諸鎮角立,由於董卓之亂國。董卓亂國,由於何進之召外兵。何進召外兵,由於十常侍之專政。故敘三國,必以十常侍為之端也。然而劉備之初起,不即在諸鎮之內,而尚在草澤之間。夫草澤之所以有英雄聚義,而諸鎮之所以繕修兵革者,由於黃巾之作亂。故敘三國,又必以黃巾為之端也。
【訳】
天下三分は群雄割拠によって始まった。群雄割拠は董卓が国を乱したことによって始まった。董卓が国を乱したのは何進が外藩からの兵を招集したことによって始まった。何進が外藩からの兵を招集したのは十常侍が政治をほしいままにしたことによって始まった。ゆえに三国の叙述は必ず十常侍を端緒としている。
ところで、劉備が挙兵したのは諸鎮の中でのことではなく民間においてである。民間で英雄が義勇兵を集めたことも諸鎮が軍備を調えたのも、黄巾の乱が原因である。ゆえに三国の叙述はまた必ず黄巾の乱を端緒としている。

乃黃巾未作,則有上天垂災異以警戒之,更有忠謀智計之士直言極諫以預料之。使當時為之君者,體天心之仁愛,納良臣之讜論,斷然舉十常侍而迸斥焉,則黃巾可以不作,草澤英雄可以不起,諸鎮之兵革可以不修,而三國可以不分矣。故敘三國而追本於桓、靈,猶河源之有星宿海云。
【訳】
黄巾がいまだ事を起こしていない頃に天は災異を下して警戒を促しており、さらに知謀の忠臣が直言して気をつけるよう諫めている。当時の君主が天心の仁愛を体得し良臣の論をおさめ断固として十常侍を検挙し排斥すれば、黄巾は起こらず、民間の英雄も立たず、諸鎮の軍備を調える必要もなく、天下は三つに分かれなくてもすんだだろう。ゆえに三国の叙述は桓帝霊帝に源があるというのは大河の源に星宿・海雲があるかのようなものである。(※昔の人は大河の上流がどうなっているか知らなかったようで、古地図を見るとひょうたんのような絵が書いてあったりします)

「『三国志演義』には意表をつくイリュージョンと意中に収まる巧みさがある」

《三國》一書,有巧收幻結之妙。
【訳】
三国志演義』には「功」で「幻」を収める妙がある。

設令魏而為蜀所並,此人心之所甚願也。設令蜀亡而魏得一統,此人心之所大不平也。乃彼蒼之意,不從人心所甚願,而亦不出於人心之所大不平,特假手於晉以一之,此造物者之幻也。
【訳】
もし魏が蜀と併存するなら、それは人心の甚だ願うところである。もし蜀が滅んで魏が統一するなら、それは人心の大いに不平とするところである。しかるに天意は人心の願うところに従わず、また、人心の大いに不平とするところも出ず、わざわざ晋の手を借りて統一させた。これは造物者の「幻」である。

然天既不祚漢,又不予魏,則何不假手於吳,而必假手於晉乎?曰:魏固漢賊也,吳嘗害關公,奪荊州,助魏以攻蜀,則亦漢賊也。若晉之奪魏,有似乎為漢報讐也者,則與其一之以吳,無寧一之以晉也。且吳為魏敵,而晉為魏臣;魏以臣弒君,而晉即如其事以報之,可以為戒於天下後世,則使魏而見並於其敵,不若使之見並於其臣之為快也,是造物者之巧也。
【訳】
天は漢に福を授けず魏にも与えず、どうして呉ではなく晋の手を借りなければならなかったのか。
曰く、魏はもとより漢の賊である。呉はかつて関公を害して荊州を奪い、魏を助けて蜀を攻めたため、これも漢の賊である。
晋が魏を簒奪することは漢のために復讐するようなものである。呉が統一するよりも晋が統一するほうがよい。かつ呉は魏の敵であり、晋は魏の臣である。魏が臣の立場で君主を弑し、晋が同様のことをして魏に報いたことは、天下後世の戒めとなる。魏がその敵に併合されるより、臣に併呑されるほうが痛快である。これは造物者の「巧」である。

幻既出人意外,巧復在人意中,造物者可謂善於作文矣。今人下筆,必不能如此之幻、如此之巧,然則讀造物自然之文,而又何必讀今人臆造之文乎哉!
【訳】
「幻」は人の意表をつき、「巧」は人の意中にある。造物者は作文に長けていると言えよう。今の人が筆を下せば、このような「幻」を見せることもできず、このような「巧」も出せないだろう。造物ありのままの文を読めば、そのうえどうして今の人がでっちあげた文を読む必要があろうか。

「『三国志演義』には客を以て主を託す妙がある」

《三國》一書,有以賓襯主之妙。
【訳】
三国志演義』に客を以て主を託す妙がある。

これ、なに言いたいか分かりづらいです。メインのものを描写する際に似たようなものを描写しておくという技巧があるんだよという話のようです。
当て馬みたいな効果がある技巧なんでしょうかね。

如將敘桃園兄弟三人,先敘黃巾兄弟三人:桃園其主也,黃巾其賓也。
將敘中山靖王之後,先敘魯恭王之後:中山靖王其主也,魯恭王其賓也。
將敘何進,先敘陳蕃、竇武:何進其主也,陳蕃、竇武其賓也。
敘劉、關、張及曹操孫堅之出色,並敘各鎮諸侯之無用:劉備曹操孫堅其主也,各鎮諸侯其賓也。
劉備將遇諸葛亮,而先遇司馬徽、崔州平、石廣元、孟公威等諸人:諸葛亮其主也,司馬徽諸人其賓也。
諸葛亮歷事兩朝,乃又有先來即去之徐庶、晚來先死之龐統諸葛亮其主也,而徐庶龐統又其賓也。
趙雲先事公孫瓚,黃忠先事韓玄馬超先事張魯,法正、嚴顏先事劉璋,而後皆歸劉備:備其主也,公孫瓚韓玄張魯劉璋其賓也。
太史慈先事劉繇,後歸孫策甘寧先事黃祖,後歸孫權;張遼先事呂布徐晃先事楊奉張郃先事袁紹賈詡先事李傕、張繡,而後皆歸曹操:孫、曹其主也,劉繇、黃祖、呂布楊奉等諸人其賓也。
代漢當塗之讖,本應在魏,而袁公路謬以自許:魏其主也,袁公路其賓也。
三馬同槽之夢,本應在司馬氏,而曹操誤以為馬騰父子:司馬氏其主也,馬騰父子其賓也。受禪臺之說,李肅以賺董卓,而曹丕即真焉,司馬炎又即真焉:曹丕司馬炎其主也,董卓其賓也。
【訳】
桃園兄弟三人を叙述するのに、まず黄巾兄弟三人を叙述する。桃園は主、黄巾は客である。
中山靖王の後裔を叙述するのに、まず魯の恭王の後裔を叙述する。中山靖王は主、魯の恭王は客である。
何進を叙述するのに、まず陳蕃・竇武を叙述する。何進は主、陳蕃・竇武は客である。
劉・関・張および曹操孫堅の優れていることを叙述するのに、まず各鎮の諸侯の無能さを描写する。劉備曹操孫堅は主、各鎮の諸侯は客である。
劉備諸葛亮と会うのに、まず司馬徽・崔州平・石広元・孟公威らの人々と会う。諸葛亮は主、司馬徽らは客である。
諸葛亮が二つの王朝に仕えるのに、まず徐庶が去ることを書き、後に龐統が死去することを書く。諸葛亮は主、徐庶龐統は客である。
趙雲は先に公孫瓚に仕え、黄忠は先に韓玄に仕え、馬超は先に張魯に仕え、法正。厳顔は先に劉璋に仕え、後にみな劉備に帰した。劉備は主、公孫瓚韓玄張魯劉璋は客である。
太史慈は先に劉繇に仕え、後に孫策に帰した。甘寧は先に黄祖に仕え、後に孫権に帰した。張遼は先に呂布に仕え、徐晃は先に楊奉に仕え、張郃は先に袁紹に仕え、賈詡は先に李傕・張繡に仕え、後にみな曹操に帰した。孫・曹は主、劉繇・黄祖呂布楊奉らは客である。
漢に代わる者は當塗であるという讖はもとより魏に応じたものであるが、袁公路は誤って自分のことだとした。魏は主、袁公路は客である。
三馬同槽の夢はもとより司馬氏に応じたものであるが、曹操は誤って馬騰父子だとした。司馬氏は主、馬騰父子は客である。
受禅台の説は、李肅が董卓をおだてたが、曹丕が真であり、司馬炎もまた真である。曹丕司馬炎が主、董卓は客である。

且不獨人有賓主也,地亦有之。
【訳】
人だけに主・客があるのではない。地にもまた主・客がある。

まだあるんですか……(げんなり)

獻帝自洛陽遷長安,又自長安遷洛陽,而終乃遷於於許昌許昌其主也,長安、洛陽皆賓也。
劉備失徐州,而得荊州荊州其主也,徐州其賓也。
及得兩川,而復失荊州:兩川其主也,而荊州又其賓也。
孔明將北伐中原,而先南定蠻方,意不在蠻方而在中原:中原其主也,蠻方其賓也。
【訳】
献帝は洛陽から長安に遷都し、また長安から洛陽に遷り、終には許昌に遷都した。許昌は主、長安・洛陽は客である。
劉備は徐州を失い荊州を得た。荊州は主、徐州は客である。
両川(西川と東川。蜀、漢中)を得るに及び、また荊州を失った。両川は主、荊州はまた客である。
孔明は北の中原を伐つのに、まず南の蛮方を定めた。意は蛮方にはなく中原にあった。中原は主、蛮方は客である。

抑不獨地有賓主也,物亦有之。
【訳】
地だけに主・客があるのではない。物にもまた主・客がある。

まだあるんですかい(げんなり)

李儒鴆酒、短刀、白練以貽帝辯:鴆酒其主也,短刀、白練其賓也。
許田打圍,將敘曹操射鹿,先敘玄德射兔:鹿其主也,兔其賓也。
赤壁鏖兵,將敘孔明借風,先敘孔明借箭:風其主也,箭其賓也。
董承受玉帶,陪之以錦袍:帶其主也,袍其賓也。
關公拜受赤兔馬,而陪之以金印、紅袍諸賜:馬其主也,金印等其賓也。
曹操掘地得銅雀,而陪之以玉龍、金鳳:雀其主也,龍、鳳其賓也。
諸如此類,不可悉數。善讀是書者,可於此悟文章賓主之法。
【訳】
李儒鴆酒・短刀・白練を皇帝劉弁に与えた。鴆酒は主、短刀・白練は客である。
許田の巻き狩りでは、曹操が鹿を射るのを描くのにまず玄徳が兎を射ることろを描く。鹿は主、兎は客である。
赤壁の殲滅戦では、孔明が風を借りるのを描くのに、まず孔明が箭を借りるのを描く。風は主、箭は客である。
董承が玉帯を受けた際、錦の袍も賜った。帯は主、袍は客である。
関公が赤兔馬を拝受した際、金印・紅袍なども受けた。馬は主、金印等は客である。
曹操が地を掘って銅雀を得た際、玉龍・金鳳も出た。雀は主、龍・鳳は客である。

諸如此類,不可悉數。善讀是書者,可於此悟文章賓主之法。
【訳】
このような例は数え切れない。善く書を読む者は、この文章の主客の法を悟るべきである。

何が客で何が主かなんて、毛宗崗さんがむりやりこじつけて対応させただけなんじゃないの、という気もしますが……
似たようなキャラ設定の者が違う顛末をたどるという様式美を悟れ、という文章でしたね。

「『三国志演義』には同じ木から違う枝に発展する妙がある」

この部分では、似たような趣向を用いながら違いをつけるという技巧について話しています。

《三國》一書,有同樹異枝、同枝異葉、同葉異花、同花異果之妙。
作文者以善避為能,又以善犯為能。不犯之而求避之,無所見其避也;惟犯之而後避之,乃見其能避也。
【訳】
三国志演義』には同じ木から異なる枝が生え、同じ枝から異なる葉が生え、同じ葉から異なる花が咲き、同じ花から異なる果実がなる妙がある。
文を書く者としてはこれを避けることが有能であり、これを犯すこともまた有能である。これを犯さずしてこれを避けようとしても、避けることはできない。これを犯してからこれを避けることはできる。

紀宮掖,則寫一何太后,又寫一董太后;寫一伏皇后,又寫一曹皇后;寫一唐貴妃,又寫一董貴人;寫甘、糜二夫人,又寫一孫夫人,又寫一北地王妃;寫魏之甄后、毛後,又寫一張後:而其間無一字相同。
【訳】
例えば宮中を書くには、何太后を描き、董太后を描き、伏皇后を描き、曹皇后を描き、唐貴妃を描き、董貴人を描く。甘・糜二夫人を描き、また孫夫人を描き、北地王妃を描く。魏の甄皇后、毛皇后、張皇后を描く。その間に一字として同じものはない。

紀戚畹,則何進之後,寫一董承,董承之後,又寫一伏完;寫一魏之張緝,又寫一吳之錢尚:而其間亦無一字相同。
【訳】
外戚を書くには、何進の後、董承を描き、董承の後、伏完を描く。魏の張緝を描き、また呉の全尚を描く。その間に一字として同じものはない。

寫權臣,則董卓之後,又寫李傕、郭汜;傕、汜之後,又寫曹操曹操之後,又寫一曹丕曹丕之後,又寫一司馬懿司馬懿之後,又並寫一師、昭兄弟;師、昭之後,又繼寫一司馬炎,又旁寫一吳之孫綝:而其間亦無一字相同。
【訳】
権臣を描くのに、董卓の後にまた李傕・郭汜を描き、李傕・郭汜の後にまた曹操を描き、曹操の後にまた曹丕を描き、曹丕之後にまた司馬懿を描き、司馬懿の後にまた司馬師司馬昭兄弟を描き、司馬師司馬昭の後にまた継いで一司馬炎を描く。また一方では吳の孫綝を描く。その間に一字として同じものはない。

其他敘兄弟之事,則袁譚袁尚不睦、劉琦與劉琮不睦,曹丕曹植亦不睦,而譚與尚皆死,琦與琮一死一不死,丕與植皆不死,不大異乎!
【訳】
その他に兄弟の事を描くのに、袁譚袁尚の不仲、劉琦と劉琮の不仲、曹丕曹植の不仲を描く。袁譚袁尚はみな死に、劉琦と劉琮は一人は死んで一人は死なず、曹丕曹植はみな死ななかった。大きな違いではないか?

敘婚姻之事,則如董卓求婚於孫堅袁術約婚於呂布曹操約婚於袁譚,孫權結婚於劉備、又求婚於雲長,而或絕而不許,或許而復絕,或偽約而反成,或真約而不就,不大異乎?
【訳】
婚姻の事を書くのに、董卓孫堅に婚姻をもちかけたり、袁術呂布と婚姻の約束をしたり、曹操袁譚と婚姻の約束をしたり、孫権劉備と婚姻を結んだり、また雲長に婚姻をもちかけたりしたが、あるものは断り、あるものは許可してから断り、あるものは偽りの婚約が本当の結婚になったり、あるものは本当の婚約であっても成就しなかったりした。大きな違いではないか?(※当人同士ではなく娘や妹の縁談の話です)

至於王允用美人計,周瑜亦用美人計,而一效一不效,則互異;卓、布相惡,傕、汜亦相惡,而一靖一不靖,則互異。
【訳】
王允が美人の計を用い、周瑜もまた美人の計を用いたことにいたっては、一方は成功し、一方は成功しなかったのは、互いに異なる。董卓呂布は憎しみあい、李傕と郭汜もまた憎しみあったが、一方は穏やかで一方は穏やかではなかったのは、互いに異なる。

獻帝有兩番密詔,則前隱而後彰;馬騰亦有兩番討賊,則前彰而後隱:此其不同者矣。
【訳】
献帝は二度の密詔を出したが、最初のものは隠れており後のものは露顕した。馬騰もまた二度賊を討ったが、最初のものは露顕し後のものは隠れていた。これも同じではない。

呂布有兩番弒父,而前動於財,後動於色;前則以私滅公,後則假公濟私,此又其不同者矣。
【訳】
呂布は二度父を弒殺したが、最初のものは財で動き、後のものは女色で動いた。最初のものは私情で公事を滅し、後のものは公事を借りて私情を晴らした。これもまた同じではない。

趙雲有兩番救主,而前救於陸,後救於水;前則受之主母之手,後則奪之主母之懷:此又其不同者矣。
【訳】
趙雲は二度主を救ったが、最初のものは陸で救い、後のものは水で救った。最初のものは主の母の手から受け、後のものは主の母の懐から奪った。これもまた同じではない。

若夫寫水不止一番,寫火亦不止一番。曹操有下邳之水,又有冀州之水;關公有白河之水,又有罾口川之水。呂布有濮陽之火,曹操有烏巢之火,周郎有赤壁之火.陸遜有猇亭之火,徐盛有南徐之火,武侯有博望、新野之火,又有盤蛇谷、上方谷之火:前後曾有絲毫相犯否?
【訳】
そして水の描写も一度に留まらず、火の描写もまた一度に留まらない。
曹操には下邳の水があり、また冀州の水がある。
関公には白河の水があり、また罾口川の水がある。
呂布には濮陽の火があり、曹操には烏巢の火があり、周郎には赤壁の火があり、陸遜には猇亭の火があり、徐盛には南徐の火があり、武侯には博望・新野の火があり、また盤蛇谷・上方谷の火もある。
前後で少しでも描写がかぶったことがあろうか?

甚者孟獲之擒有七,祁山之出有六,中原之伐有九,求其一字之相犯而不可得。
【訳】
はなはだしきは、孟獲には七擒あり、祁山には六出あり、中原には九伐がある。そこには一文字の重複も見いだしえない。

妙哉文乎!譬猶樹同是樹,枝同是枝,葉同是葉,花同是花,而其植根、安蒂、吐芳、結子,五色紛披,各成異采。讀者於此,可悟文章有避之一法,又有犯之一法也。
【訳】
妙なるかな文や!
たとえ木が同じ木、枝が同じ枝、葉が同じ葉、花が同じ花であっても、その根、へた、香り、実はよりどりみどりで、それぞれ異なる風采をなしている。読者はここに、文章には避ける技巧と犯す技巧があることを悟るべきである。

あえて他の部分とかぶるようなことを書いたり、丸々かぶるのを避けるために違いを出したりする技巧があるんだよ、という話でした。
七擒孟獲・六出祁山・九伐中原のあたりは、こじつけじゃないかという気もしますが……(それぞれ語呂がいいから数字をつけただけなのではないでしょうか? 趣向を似せようと意図しながら書かれているとは思えません!)

「『三国志演義』には運命の転変がある」

《三國》一書,有星移斗轉、雨覆風翻之妙。杜少陵詩曰:「天上浮雲如白衣,斯須改變成蒼狗。」此言世事之不可測也。《三國》之文,亦猶是爾。
【訳】
三国志演義』には星が移り星座が転じ、雨が覆り風が翻る妙がある。
杜甫の詩にこうある「天上の浮雲は白衣のごとくも斯須(ししゅ)改変して蒼狗のごとし」
これは世の中のことは予測できないことを言っているのである。
三国志演義』の文もまたこのようである。

 この下は「世の中のことは予測できない」の具体例ラッシュです。

本是何進謀誅宦官,卻弄出宦官殺何進,則一變;
本是呂布丁原,卻弄出呂布丁原,則一變;
本是董卓呂布,卻弄出呂布董卓,則一變;
本是陳宮曹操,卻弄出陳宮欲殺曹操,則一變;
陳宮未殺曹操,反弄出曹操殺陳官,則一變;
本是王允不赦傕、汜,卻弄出傕、汜殺王允,則一變;
本是孫堅袁術不睦,卻弄出袁術致書於孫堅,則一變;
本是劉表求救於袁紹,卻弄出劉表孫堅,則一變;
本是昭烈從袁紹以討董卓,卻弄出助公孫瓚以攻袁紹,則一變;
本是昭烈救徐州,卻弄出昭烈取徐州,則一變;
本是呂布投徐州,卻弄出呂布奪徐州,則一變;
本是呂布攻昭烈,卻弄出呂布迎昭烈,則一變;
本是呂布袁術,又弄出呂布袁術,則一變;
本是昭烈助呂布以討袁術,又弄出助曹操以殺呂布,則一變;
本是昭烈助曹操,又弄出昭烈討曹操,則一變;
本是昭烈攻袁紹,又弄出昭烈投袁紹,則一變;
本是昭烈助袁紹以攻曹操,又弄出關公助曹操以攻袁紹,則一變;
本是關公尋昭烈,又弄出張飛欲殺關公,則一變;
本是關公許田欲殺曹操,又弄出華客道放曹操,則一變;
本是曹操追昭烈,又弄出昭烈投東吳以破曹操,則一變;
本是孫權讐劉表,又弄出魯肅弔劉表、又弔劉琦,則一變;
本是孔明助周郎,卻弄出周郎欲殺孔明,則一變;
本是周郎欲害昭烈,卻弄出孫權結婚昭烈,則一變;
本是用孫夫人牽制昭烈,卻弄出孫夫人助昭烈,則一變;
本是孔明氣死周郎,又弄出孔明哭周郎,則一變;
本是昭烈不受劉表荊州,卻弄出昭烈借荊州,則一變;
本是劉璋欲結曹操,卻弄出迎昭烈,則一變;
本是劉璋迎昭烈,卻弄出昭烈奪劉璋,則一變;
本是昭烈分荊州,又弄出呂蒙荊州,則一變;
本是昭烈破東吳,又弄出陸遜敗昭烈,則一變;
本是孫權求救於曹丕,卻弄出曹丕欲襲孫權,則一變;
本是昭烈讐東吳,又弄出孔明結好東吳,則一變;
本是劉封孟達,卻弄出劉封孟達,則一變;
本是孟達背昭烈,又弄出孟達欲歸孔明,則一變;
本是馬騰與昭烈同事,又弄出馬超攻昭烈,則一變;
本是馬超劉璋,卻弄出馬超投昭烈,則一變;
本是姜維孔明,卻弄出姜維孔明,則一變;
本是夏侯霸助司馬懿,卻弄出夏侯霸助姜維,則一變;
本是鍾會忌鄧艾,卻弄出衛瓘殺鄧艾,則一變;
本是姜維賺鍾會,卻弄出諸將殺鍾會,則一變;
本是羊祜和陸抗,卻弄出羊祜請伐孫皓,則一變;
本是羊祜請伐吳,卻弄出一杜預,又弄出一王濬,則一變。
【訳】
もとは何進は宦官を誅しようとしたが、かえって宦官が何進を殺すことになった。一変である。
もとは呂布丁原を助けていたが、かえって呂布丁原を殺すことになった。一変である。
もとは董卓呂布と結んでいたが、かえって呂布董卓を殺すことになった。一変である。
もとは陳宮曹操を許していたが、かえって陳宮曹操を殺そうとした。一変である。
陳宮がまだ曹操を殺さないうちに、かえって曹操が陳官を殺した。一変である。
もとは王允は李傕・郭汜を許さなかったが、かえって李傕・郭汜が王允を殺した。一変である。
もとは孫堅袁術と不和であったが、かえって袁術孫堅に書を送った。一変である。
もとは劉表袁紹に救いを求めたが、かえって劉表孫堅に殺された。一変である。
もとは昭烈(劉備)は袁紹に従い董卓を討ったが、かえって公孫瓚を助けて袁紹を攻めた。一変である。
もとは昭烈は徐州を救ったが、かえって昭烈は徐州を取った。一変である。
もとは呂布は徐州に投降したが、かえって呂布が徐州を奪った。一変である。
もとは呂布は昭烈(劉備)を攻めたが、かえって呂布が昭烈を迎えた。一変である。
もとは呂布袁術と絶交していたが、かえって呂布袁術に助けを求めた。一変である。
もとは昭烈が呂布を助けて袁術を討ったが、また曹操を助けて呂布を殺した。一変である。
もとは昭烈が曹操を助けたが、また昭烈が曹操を討った。一変である。
もとは昭烈が袁紹を攻めたが、また昭烈が袁紹に投降した。一変である。
もとは昭烈が袁紹を助けて曹操を攻めたが、また関公が曹操を助けて袁紹を攻めた。一変である。
もとは関公が昭烈をたずねたが、また張飛が関公を殺そうとした。一変である。
もとは関公が許田で曹操を殺そうとしたが、また華客道で曹操を放した。一変である。
もとは曹操が昭烈を追撃したが、また昭烈が東呉に投じて曹操を破った。一変である。
もとは孫権劉表を讐としていたが、また魯肅が劉表を弔い、また劉琦を弔った。一変である。
もとは孔明が周郎を助けたが、かえって周郎は孔明を殺そうとした。一変である。
もとは周郎は昭烈を害そうとしたが、かえって孫権は昭烈と縁談を結んだ。一変である。
もとは孫夫人を用いて昭烈を牽制しようとしたが、かえって孫夫人が昭烈を助けた。一変である。
もとは孔明が周郎を気死させたが、また孔明は周郎を哭した。一変である。
もとは昭烈は劉表荊州を受け取らなかったが、かえって昭烈は荊州を借りた。一変である。
もとは劉璋曹操と結ぼうとしたが、かえって昭烈を迎えた。一変である。
もとは劉璋は昭烈を迎えたが、かえって昭烈は劉璋から奪った。一変である。
もとは昭烈が荊州を分割したが、また呂蒙荊州を襲った。一変である。
もとは昭烈が東呉を破ったが、また陸遜が昭烈を破った。一変である。
もとは孫権曹丕に助けを求めたが、かえって曹丕孫権を襲った。一変である。
もとは昭烈は東呉を讐としたが、また孔明は東呉と修好を結んだ。一変である。
もとは劉封孟達の言葉を聞いたが、かえって劉封孟達を攻めた。一変である。
もとは孟達は昭烈に背いたが、また孟達孔明に帰順しようとした。一変である。
もとは馬騰は昭烈と協力していたが、また馬超は昭烈を攻めた。一変である。
もとは馬超劉璋を救ったが、かえって馬超は昭烈に投降した。一変である。
もとは姜維孔明の敵であったが、かえって姜維孔明を助けた。一変である。
もとは夏侯霸は司馬懿を助けたが、かえって夏侯霸は姜維を助けた。一変である。
もとは鍾会は鄧艾を憎んでいたが、かえって衛瓘が鄧艾を殺した。一変である。
もとは姜維鍾会をかついでいたが、かえって諸将は鍾会を殺した。一変である。
もとは羊祜は陸抗と和していたが、かえって羊祜は孫皓討伐を申請した。一変である。
もとは羊祜が呉討伐を申請していたが、かえって杜預と王濬が登板した。一変である。

こういう具体例、こんなに列挙する必要ありますかね?
まるでダイジェストか名場面集でもやっているようじゃないですか。
代表例を一つ二つ挙げて論を進めていただくわけにいかないんでしょうか毛宗崗先生。こんなにたくさん例を挙げるなら文末にまとめて別表で付けて欲しいです。

論其呼應有法,則讀前卷定知其有後卷;論其變化無方,則讀前文更不料其有後文。於其可知,見《三國》之文之精;於其不可料,更見《三國》之文之幻矣。
【訳】
その呼応はといえば法があり、前巻を読めばかならず後巻があると知ることができる。その変化といえば自由自在であり、全文を読んでもその後文を予測することはできない。そこに『三国志演義』の文の精を知ることができ、『三国志演義』の文のイリュージョンは計り知れない。

「『三国志演義』には連なるものを断つ技巧がある」

この部分は、回数を踏むエピソードを続けて書くのがいいこともあれば、間に他のエピソードを挟んだほうがいいこともある、という話です。

《三國》一書,有橫雲斷嶺、橫橋鎖溪之妙。文有宜於連者,有宜於斷者。如五關斬將、三顧草廬、七擒孟獲,此文之妙於連者也。如三氣周瑜、六出祁山、九伐中原,此文之妙於斷者也。蓋文之短者,不連敘則不貫串,文之長者,連敘則懼其累墜,故必敘別事以間之,而後文勢乃錯綜盡變。後世稗官家,鮮能及此。
【訳】
三国志演義』には、たなびく雲が嶺を断ち、渡した橋が渓流を閉ざすような妙がある。
文には連なるのにいい部分もあれば、断つほうがいい部分もある。
たとえば五関斬将、三顧草廬、七擒孟獲。これらの文の妙は連なっているところにある。
たとえば三気周瑜、六出祁山、九伐中原。これらの文の妙は断たれているところにある。
けだし、文の短いものは、連なって叙述しければ一貫性がでない。文の長いものは、連なって叙述すればわずらわしくなることが心配であるあら、かならず別のことを叙述して間をあけ、後の文の勢いに変化をつける。
後世の稗官小説家はこれに及ぶ者が少ない。

毛宗崗さんがしきりと現代作家の技巧が『三国志演義』に及ばないと言っているのが気になります。
自分の推しを推す時に他を落とすような言い方をする必要ありますかね?

「『三国志演義』には、大きな出来事の前に小さな前振りをする技巧がある」

《三國》一書,有將雪見霰、將雨聞雷之妙。
將有一段正文在後,必先有一段閒文以為之引。
將有一段大文在後,必先有一段小文以為之端。
如將敘曹操濮陽之火,先寫糜竺家中之火一段閒文以啓之;
將敘孔融求救於昭烈,先寫孔融通刺於李弘一段閒文以啓之;
將敘赤壁縱火一段大文,先寫博望、新野兩段小文以啓之;
將敘六出祁山一段大文,先寫七擒孟獲一段小文以啓之是也。
魯人將有事於上帝,必先有事於頖宮。文章之妙,正復類是。
【訳】
三国志演義』には、雪をもたらす霰を見、雨をもたらす雷を聞く妙がある。
一段の正文が後ろにあれば、その前には必ず一段の間文が前振りとなっている。
一段の大文が後ろにあれば、その前には必ず一段の小文が端緒となっている。
たとえば曹操の濮陽の火を描くのに、まず糜竺の家の火の一段の間文を書いて導く。
孔融が昭烈に助けを求めるのを描くのに、まず孔融李膺に面会に行く一段の間文を書いて導く。
赤壁の放火の一段の大文を書くのに、まず博望・新野の二つの小文を描いて導く。
北伐六出祁山の一段の大文を書くのに、まず七擒孟獲の一段の小文を描いて導く。
魯の人が上帝に祭祀を行う際には必ず先に頖宮の祭祀を行うのである。
文章の妙はまさにまたこの類である。

魯の人が上帝に祭祀を行う際には必ず先に頖宮の祭祀を行うというのは、『礼記』にある言葉です。
魯の人が天帝の祭祀を行う前に必ず学宮で祭祀を行うように、『三国志演義』では大きな出来事の前にそれより一回り小さいことを書くという技巧があるんだよ、という話でした。

「『三国志演義』には大きな出来事のあとに小さな出来事による余韻がある」

《三國》一書,有浪後波紋、雨後霢霢之妙。
凡文之奇者,文前必有先聲,文後亦必有餘勢。
董卓之後,又有從賊以繼之;
黃巾之後,又有餘黨以衍之;
昭烈三顧草廬之後,又有劉琦三請諸葛一段文字以映帶之;
武侯出師一段大文之後,又有姜維伐魏一段文字以蕩漾之是也。
諸如此類,皆他書中所未有。
【訳】
三国志演義』には波のあとに波紋があり、雨のあとに小雨があるという妙がある。
およそ文の奇なるものは、文の前に必ず声あり、文の後にもまた必ず余勢がある。
たとえば董卓の後にはまた從賊がこれを継いだ。
黃巾の後にはまた余党がこれを敷衍した。
昭烈の三顧の礼の後にはまた劉琦が諸葛亮に三たび請うという一段の文章で対照させている。
武侯の出師という一段の大文の後にはまた姜維が魏を伐つという一段の文章で余韻を産んでいる。
もろもろこの類はみな他の書にはいまだ見えない。

他の書には見えないだなんて、さっきから『三国志演義』だけ特別みたいに言いたがりすぎじゃないでしょうかね……
たしかに『三国志演義』はすごいですけれども……

「『三国志演義』では喧噪のさなかに僧や隠士が登場する妙がある」

《三國》一書,有寒冰破熱、涼風掃塵之妙。
如關公五關斬將之時,忽有鎮國寺內遇普靜長老一段文字;
昭烈躍馬檀溪之時,忽有水鏡莊上遇司馬先生一段文字;
孫策虎踞江東之時,忽有遇于吉一段文字;
曹操進爵魏王之時,忽有遇左慈一段文字;
昭烈三顧草廬之時,忽有遇崔州平席地閒談一段文字;
關公水淹七軍之後,忽有玉泉山月下點化一段文字。
至於武侯征蠻,而忽逢孟節;陸遜追蜀,而忽遇黃承彥;
張任臨敵,而忽間紫虛丈人:昭烈伐吳,而忽問青城老叟:
或僧、或道、或隱士、或高人,俱於極喧鬧中求之,真足令人躁思頓清,煩襟盡滌。
【訳】
三国志演義』には寒氷が熱を破り涼風が砂塵を掃くという妙がある。
たとえば関公の五関斬将の時、忽然と鎮国寺で普静長老に遇うという一段の文章がある。
昭烈が馬を躍らせ檀渓を跳んだ時、忽然と水鏡荘で司馬先生に遇うという一段の文章がある。
孫策が江東に虎踞した時、忽然と于吉に遇うという一段の文章がある。
曹操が魏王に爵位をすすめた時、忽然と左慈に遇うという一段の文章がある。
昭烈の三顧の礼の時、忽然と崔州平と地に座って談話するという一段の文章がある。
関公が七軍を水に沈めた後、忽然と玉泉山で月下に點化させる(悟りを開かせる)という一段の文章がある。
武侯の征蛮では忽然と孟節に遇い、陸遜の蜀の追撃では忽然と黃承彥に遇い、張任が敵に臨むには忽然と紫虛丈人に問い、昭烈が呉を伐つには忽然と青城の老叟に問うた。
あるいは僧、あるいは道士、あるいは隠士、あるいは高人。いずれも喧噪の極みのうちにこれを求め、まことに人のあわただしい思いをたちどころに清め、わずらわしい思いをすすぎつくすに足るものである。

「『三国志演義』には、英雄豪傑の描写の間に美女の描写を挟む妙がある」

《三國》一書,有笙簫夾鼓、琴瑟間鐘之妙。
如正敘黃巾擾亂,忽有何後、董後兩宮爭論一段文字;
正敘董卓縱橫,忽有貂蟬鳳儀亭一段文字;
正敘傕、汜倡狂,忽有楊彪夫人與郭汜之妻來往一段文字;
正敘下邳交戰,忽有呂布送女、嚴氏戀夫一段文字;
正敘冀州廝殺,忽有袁譚失妻、曹丕納婦一段文字;
正敘荊州事變,忽有蔡夫人商議一段文字;
正敘赤壁鏖兵,忽有曹操欲取二喬一段文字;
正敘宛城交攻,忽有張濟妻與曹操相遇一段文字;
正敘趙雲取桂陽,忽有趙范寡嫂敬酒一段文字;
正敘昭烈爭荊州,忽有孫權親妹洞房花燭一段文字;
正敘孫權戰黃祖,忽有孫翊妻為夫報讐一段文字;
正敘司馬懿殺曹爽,忽有辛憲英為弟畫策一段文字。
至於袁紹曹操之時,忽帶敘鄭康成之婢;
曹操救漢中之日,忽帶敘蔡中郎之女:
諸如此類,不一而足。
人但知《三國》之文是敘龍爭虎鬪之事,而不知為鳳為鸞、為鶯為燕,篇中有應接不暇者。令人於干戈隊裡裏,時見紅裙;旌旗影中,常覩粉黛:
殆以豪士傳與美人傳合為一書矣。
【訳】
三国志演義』には、笙簫に鼓をはさみ、琴瑟の間に鐘をならす妙がある。
たとえば黃巾の擾乱を描こうとするのに、忽然と何皇后・董太后の両宮の争論の話がある。
董卓の専横を描こうとするのに、忽然と貂蟬の鳳儀亭の話がある。
李傕・郭汜の倡狂(しょうきょう)を描こうとするのに、忽然と楊彪夫人と郭汜の妻がやりとりする話がある。
下邳の戦いを描こうとするのに、忽然と呂布が娘を送ろうとし厳氏が夫を引き留める話がある。
冀州の殺し合いを描くのに、忽然と袁譚が妻を失い曹丕が婦人を得る話がある。
荊州の事変を描くのに、忽然と蔡夫人が相談する話がある。
赤壁の戦いを描くのに、曹操二喬を欲しがる話がある。
宛城の戦いを描くのに、忽然と張済の妻と曹操が遇う話がある。
趙雲が桂陽を取るのを描くのに、忽然と趙范の嫂の未亡人が酒を献じる話がある。
昭烈が荊州を争うのに、忽然と孫権の実の妹が結婚する話がある。
孫権黄祖と戦うのに、忽然と孫翊の妻が夫の復讐をする話がある。
司馬懿が曹爽を殺すのを描くのに、忽然と辛憲英が弟のために策を考える話がある。
袁紹曹操を討つ時にいたっては、忽然と鄭玄と下女の話が帯叙(話の本筋に添付される形である人の伝が付されること)される。
曹操が漢中を救う日は、忽然と蔡邕の娘の話が帯叙される。
もろもろこの類のごとくであり、一つ挙げるだけでは足りない。
人はただ『三国志演義』が竜虎争闘を描写していることだけを知っていて、鳳となり鸞となり、鶯となり燕となり、篇中にたえず応接する者が人に干戈隊裡の裏に時に紅裙(赤いスカート)を見せ、旌旗の影中に常に粉黛(おしろいとまゆずみ)を見せることを知らない。
ほとんど豪士の伝と美人の伝が合わさって一書となっているのである。

「『三国志演義』には数年がかりの伏線がある」

《三國》一書,有隔年下種、先時伏着之妙。
善圃者投種於地,待時而發;
善奕者下一閒著着於數十著之前,而其應在數十著之後。
文章敘事之法,亦猶是已。
【訳】
三国志演義』には、数年ごしで前もって種をまき、まずは伏線にしておくという妙がある。
耕作が上手い者は、種をまいて時を待って芽吹かせるのである。
囲碁が上手い者は、数十手先を読んで一手を打ち、その効果が現れるのは数十手後である。
文章の叙述法もまたかくのごとしである。

如西蜀劉璋乃劉焉之子,而首回將敘劉備,先敘劉焉,早為取西川伏下一筆。
又於玄德破黃巾時,並敘曹操,帶敘董卓,早為董卓亂國、曹操專權伏下一筆。
趙雲歸昭烈在古城聚義之時,而昭烈之遇趙雲,早於磐河戰公孫時伏下一筆。
馬超歸昭烈在葭萌戰張飛之後,而昭烈之與馬騰同事,早於受衣帶詔時伏下一筆。
龐統歸昭烈在周郎既死之後,而童子龐統姓名,早於水鏡莊前伏下一筆。
武侯嘆「謀事在人、成事在天」在上方谷火滅之後,而司馬徽「未遇其時」之語,崔州平「天不可強」之言,早於三顧草廬前伏下一筆。
劉禪帝蜀四十餘年而終,在一百十回之後,而鶴鳴之兆,早於新野初生時伏下一筆。
姜維九伐中原在一百五回之後,而武侯之收姜維,早於初出祁山時伏下一筆。
姜維與鄧艾相遇,在三伐中原之後,姜維與鐘會相遇,在九伐中原之後,而夏侯霸述兩人姓名,早於未伐中原時伏下一筆。
曹丕篡漢,在八十回中,而青雲紫雲之祥,早於三十三回之前伏下一筆。
孫權僭號,在八十五回後,而吳夫人夢日之兆,早於三十八回中伏下一筆。
司馬篡魏,在一百十九回,而曹操夢馬之兆,早於五十七回中伏下一筆。
自此而外,凡伏筆之處,指不勝屈。每見近世稗官家,一到扭捏不來之時,便平空生出一人,無端造出一事,覺後文與前文隔斷,更不相涉。試令讀《三國》之文,能不汗顏?
【訳】
たとえば西蜀の劉璋は劉焉の子であるが、第1回で劉備を描くのにまず劉焉を叙述し、はやくも西川を取る伏線を描いている。
また玄徳が黄巾を破る時には、曹操を並叙し、董卓を帯叙して、はやくも董卓が国を乱し曹操が専権する伏線を描いている。
趙雲は古城聚義の時に昭烈に帰順するが、昭烈が趙雲に遇うことは、はやくも磐河で公孫瓚と戦った時に伏線を描いている。
馬超は葭萌で張飛と戦ったあと昭烈に帰順したが、昭烈が馬騰と協力したことが、早くも帝から衣を賜り帯の密勅を受けた時に伏線として描かれている。
龐統は周郎の死語に昭烈に帰順したが、童子龐統の名前を挙げたことが、早くも水鏡荘の前で伏線として描かれている。
武侯(諸葛亮)は上方谷の火が消えたあとに「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」と嘆くが、司馬徽の「いまだその時に遇わず」の言葉と崔州平の「天は強いるべからず」の言葉が早くも三顧の礼の前に伏線として描かれている。
劉禅は蜀の皇帝位にあること四十年余りで終わったのが第一百十回の後であるが、鶴の鳴声による予兆は早くも新野で生まれた時に伏線として描かれている。(※『三国志演義』第三十四回に「建安十二年春,甘夫人生劉禪。是夜有白鶴一隻,飛來縣衙屋上,高鳴四十餘聲,望西飛去」とあります)
姜維が中原を九伐するのは第一百五回の後だが、武侯が姜維を手に入れた際、早くも初回の祁山進出が伏線として描かれている。
姜維が鄧艾と遇うのは三度目の中原遠征の後、姜維鍾会と遇うのは九度目の中原遠征の後だが、夏侯霸が二人の名前を述べることは、中原遠征がまだ始まらないうちに早くも伏線として描かれている。
曹丕が漢を簒奪するのは第八十回だが、青雲紫雲の瑞祥は早くも第三十三回の前に伏線として描かれている。
孫権が皇帝を僭称するのは第八十五回の後だが、呉夫人が太陽の夢を見るという予兆は早くも第三十八回の中で伏線として描かれている。
司馬氏が魏を簒奪するのは第一百十九回だが、曹操が馬の夢を見るという予兆は、早くも第五十七回の中で伏線として描かれている。
この他にも、およそ伏線となっている箇所は数え切れない。近世の稗官小説家を見るたびに、話が行き詰まれば新キャラを作り出し、意味も無く事件を作り出しており、後文と前文があい隔たっていて相互の連絡がないと感じる。試しに『三国志演義』の文を読ませれば、汗顔せずにおられるだろうか?

現代日本語でストーリー展開について話す時に「伏線」という言葉を使いますが、毛宗崗さんの時代にすでに伏線の概念があって、それを「伏」という文字で表していたんですね。
三国志演義』の伏線の描き方はたしかに巧みですが、編纂者自身が「第何話の伏線は第何話にすでにあるんだよ! これの伏線はここだよ! これにも伏線があるんだよ!」と熱弁するのは、現代だったらちょっと読者に対して押しつけがましい編纂者さんと思われるかもしれませんね。
毛宗崗さんの『三国志演義』愛が熱すぎて、そんな毛宗崗さんが愛おしいです。

「『三国志演義』には一度に全てを描写し尽くさず前後で補い合う妙がある」

《三國》一書,有添絲補錦、移針勻繡之妙。
凡敘事之法,此篇所闕者補之於彼篇,上卷所多者勻之於下卷。
不但使前文不沓拖,而亦使後文不寂寞;
不但使前事無遺漏,而又使後事增渲染:
此史家妙品也。
【訳】
三国志演義』には、糸を添えて綿を補い、針を移して刺繍を減らす妙がある。
およそ叙述の法は、この篇で書けているものをあの篇で補い、上巻で多いものを下巻で減らすのである。
前の文を引き延ばさないだけでなく、後の文を物足りなくさせることもない。
前の事に遺漏がないだけでなく、後の事も盛り上げる。
史家の妙品である。

呂布取曹豹之女,本在未奪徐州之前,卻於困下邳時敘之;曹操望梅止渴,本在擊張繡之日,卻於青梅煮酒時敘之;
管甯割席分坐,本在華歆未仕之前,卻於破壁取後時敘之;
吳夫人夢月,本在將生孫策之前,卻於臨終遺命時敘之;
武侯求黃氏為配,本在未出草廬之前,卻於諸葛瞻死難時敘之。
諸如此類,亦指不勝屈。前能留步以應後,後能迴照以應前,令人讀之,真一篇如一句。
【訳】
たとえば呂布が曹豹の娘を娶ったことはもとより徐州を奪う前であるが、下邳で窮した時に叙述している。
曹操が梅を望んで渴きを止めたのはもとより張繡を撃った時であるが、青梅煮酒の時に叙述している。
管寧が席を分けて座ったことはもとより華歆が出仕する前であるが、壁を破って伏皇后を捕らえた後に叙述している。
呉夫人が月の夢をみたのはもとより孫策が生まれる前であるが、臨終の遺命時の時に叙述している。
武侯(諸葛亮)が黄氏と結婚したのはもとより草廬の前であるが、諸葛瞻のの時に叙述している。
もろもろこの類のごとくであり、また数えるに堪えない。
前はよく歩をとどめて後ろに応じ、後ろはよく照らし出して前に応じる。
読めばまことに一篇が一句のごとくである。

「『三国志演義』には近くの山を濃く塗り、遠くの木を軽く描く妙がある」

《三國》一書,有近山濃抹、遠樹輕描之妙。
畫家之法,於山與樹之近者,則濃之重之;於山與樹之遠者,則輕之淡之。不然,林麓迢遙,峯嵐層疊,豈能於尺幅之中,一一而詳繪之乎?作文亦猶是已。
【訳】
三国志演義』には、近くの山を濃く塗り、遠くの木を軽く描く妙がある。
画家の法では、山と木の近いものは濃く重くし、山と木の遠いものは軽く淡くする。
さもなければ、奥深い山林と重なる霧をどうして尺幅の中にいちいち詳しく描くことができようか。文章をなすこともまたかくのごとしである。

皇甫嵩破黃巾,只在朱雋一邊打聽得來;
袁紹公孫瓚,只在曹操一邊打聽得來;
趙雲襲南郡,關、張襲兩郡,只在周郎眼中耳中得來;
昭烈殺楊奉、韓暹,只在昭烈口中敘來;張飛奪古城,在關公耳中聽來;
簡雍投袁紹,在昭烈口中說來。
至若曹丕三路伐吳而皆敗,一路用實寫,兩路用虛寫;
武侯退曹丕五路之兵,惟遣使入吳用實寫,其四路皆虛寫。
諸如此類,又指不勝屈。
只一句兩句,正不知包卻幾許事情,省卻幾許筆墨。
【訳】
皇甫嵩が黃巾を破ったことは、朱儁が聞いたことで知れるだけである。
袁紹公孫瓚を殺したことは、曹操が聞いたことで知れるだけである。
趙雲が南郡を襲撃し、関羽張飛が二軍を襲撃したことは、周郎の見聞で知れるだけである。
昭烈が楊奉・韓暹を殺したことは昭烈のせりふで知れるだけであり、張飛が古城を奪ったことは関公が聞いたことで知れるだけである。
簡雍が袁紹に投降したことは昭烈のせりふにあるだけである。
曹丕が三路で呉を伐とうとして全て敗れたことにいたっては、一路を実際に描写し、ニ路は実際の描写はしていない。
武侯が曹丕の五路の兵を退けたことは、使者が呉に派遣されることだけ実際に描写し、四路はみな実際の描写はしていない。
すべてこの類であり、指では数え切れない。
たった一句二句にどれほどの事柄を含みどれほどの筆墨が省かれているか知れない。

「『三国志演義』には対比の妙がある」

《三國》一書,有奇峰對插、錦屏對峙之妙。其對之法,有正對者,有反對者,有一卷之中自為對者,有隔數十卷而遙為對者。
【訳】
三国志演義』には、珍しい形の峰が挟み合い美しい峰が対峙する妙がある。その対比の方法は、正対もあれば反対もあり、一巻の中に対があることもあれば、数十巻隔てて対があることもある。

如昭烈則自幼便大,曹操則自幼便奸。
張飛則一味性急,何進則一味性慢。
議溫明是董卓無君,殺丁原呂布無父。
袁紹磐河之戰,勝敗無常;孫堅峴山之役,生死不測。
馬騰勤王室而無功,不失為忠;曹操報父讐而不果,不得為孝。
袁紹起馬步三軍而復回,是力可戰而不斷;昭烈擒王、劉二將而復縱,是勢不敵而從權。
孔融薦禰衡,是《緇衣》之好;禰衡罵曹操,是《巷伯》之心。
昭烈遇德操,是無意相遭;單福過新野,是有心來謁。
曹丕苦逼生曹植,是同氣戈矛;昭烈痛哭死關公,是異姓骨肉。
火熄上方谷,是司馬之數當生;燈滅五丈原,是諸葛之命當死。
諸如此類,或正對,或反對,皆一回之中而自為對者也。
【訳】
昭烈は幼い頃から大器で、曹操は幼い頃から奸物である。
張飛はせっかちで、何進はのんびり屋である。
温明殿の議で董卓は君主を無くし、丁原を殺して呂布は父を亡くす。
袁紹の磐河の戦いでは勝敗が定まらず、孫堅の峴山の役では生死不測である。
馬騰は王室に勤めて功は無せなかったが忠を失わず、曹操は父の復讐を果たせず孝を為すこともできなかった。
袁紹が騎兵歩兵の大軍を起こしながら引き返したのは戦えるのに決断力がないのであり、昭烈が王をとらえ劉氏の二将もまた従ったのは無敵の勢いがあるうえに権勢に従ったのである。
孔融が禰衡を推薦したのは詩経の「緇衣」のような友好であり、禰衡が曹操を罵ったのは詩経の「巷伯」のような(讒言を行う)心である。
昭烈が司馬徳操に遇ったのは意図せずに遭遇したのであり、単福が新野を通りかかったのは会いたい気持ちがあったのである。
曹丕曹植を苦しめて命を脅かしたのは同じ気(同じ親から生まれている)の戈矛(争い合う道具)であり、昭烈が関公の死を痛哭したのは異姓の骨肉(兄弟)である。
上方谷の火が消えたのは司馬懿の運命が生きるべきであったからであり、五丈原の灯明が消えたのは諸葛亮の運命が死ぬべきであったからである。
すべてこの類であり、あるものは正対、あるものは反対、みな一回の中で対をなしている。

如以國戚害國戚,則有何進;以國戚薦國戚,則有伏完。
李肅說呂布,則以智濟其惡;王允呂布,則以巧行其忠。
張飛失徐州,則以飲酒誤事;呂布陷下邳,則以禁酒受殃。
關公飲魯肅之酒,是一片神威;羊祜飲陸抗之酒,是一團和氣。
孔明不殺孟獲,是仁者之寬;司馬懿必殺公孫淵,是奸雄之刻。
關公義釋曹操,是報其德於前;翼德義釋嚴顏,是收其用於後。
武侯不用子午谷之計,是慎謀以圖全;鄧艾不懼陰平嶺之危,是行險以徼幸。
曹操有病,陳琳一罵便好;王郎無病,孔明一罵便亡。
孫夫人好甲兵,是女中丈夫;司馬懿受巾幗,是男中女子。
八日而取上庸,則以速而神;百日而取襄平,則以遲而勝。
孔明屯田渭濱,是進取主謀,姜維屯田沓中,是退避之計。
曹操受漢之九錫,是操之不臣;孫權受魏之九錫,是權之不君。
曹操射鹿,義乖於君臣;曹丕射鹿,情動於母子。
楊儀魏延,相爭於班師之日;鄧艾、鍾會,相忌在用兵之時。
姜維欲繼孔明之志,人事逆乎天心;杜預能承羊祜之謀,天時應乎人力。
諸如此類,或正對,或反對,皆不在一回之中,而遙相為對者也。
【訳】
外戚外戚を害するには何進があり、外戚外戚を推薦するには伏完がある。
李粛呂布を説得したさいは智恵で悪行をなさせ、王允呂布を説得したさいには工夫で忠をなさせた。
張飛が徐州を失ったのは酒を飲んでの失敗であり、呂布が下邳を失ったのは禁酒でわざわいをうけたのである。
関公が魯粛の酒を飲んだのは神威であり、羊祜が陸抗の酒を飲んだのは和気である。
孔明孟獲を殺さなかったのは仁者の寛容であり、司馬懿公孫淵を必ず殺したのは奸雄の容赦なさである。
関公が義により曹操をゆるしたのは以前の徳に報いたのであり、翼德が義により厳顔をゆるしたのは後に用いるためである。
武侯が子午谷の計を用いなかったのは注意深く謀をなし損傷を少なくするためであり、鄧艾が陰平嶺で危険をおそれなかったのは危険をおかして勝機をつかむためである。
曹操は病気があったが陳琳の一罵でよくなり、王郎は病気はなかったが孔明の一罵で死亡した。
孫夫人が武装兵を好んだのは女の中の丈夫であり、司馬懿が巾幗(きんかく)を受けたのは男の中の女子である。
八日で上庸を取ったのは速さで神となったのであり、百日で襄平を取ったのは遅さで勝ったのである。
孔明渭水のはたで屯田をしたのは進取の謀であり、姜維が沓中で屯田したのは退避の計である。
曹操が漢の九錫を受けたのは曹操が臣たらざることであり、孫権が魏の九錫を受けたのは孫権が君たらざることである。
曹操が鹿を射たのは君臣の義にもとる話であり、曹丕が鹿を射たのは母子に情が動いた話である。
楊儀魏延のいさかいは撤退の時であり、鄧艾と鍾会のいがみあいは軍をすすめている時である。
姜維孔明の志を継ごうとしたのは人事によって天の心に逆らうことであり、杜預が羊祜の謀を継いだのは天の時が人の力に応じたのである。
すべてこの類であり、正対もあり反対もあり、みな一回の中ではなく、相手にであって対になっている。

対になっているっていうか、同工異曲が何度も出てきているのを毛宗崗さんが数え上げて「これとこれは対だ!」って思ってるだけなんじゃないかという気もしないでもないですが……

誠於此較量而比觀焉,豈不足快讀古之胸,而長尚論之識!
【訳】
誠にこれを考えあわせれば、どうして古の文章を読んで批評の見識に長じるに足りないことがあろうか。(批評の見識に長じることのできる文章である)

「『三国志演義』には首尾に大きな対応があり、中間に大きな関連ポイントがある」

《三國》一書,有首尾大照應、中間大關鎖處。
如首回以十常侍為起,而末回有劉禪之寵中貴以結之,又有孫皓之寵中貴以雙結之,此一大照應也。
又如首回以黃巾妖術為起,而末回有劉禪之信師婆以結之,又有孫皓之信師婆以雙結之,此一大照應也。
照應既在首尾,而中間百餘回之內若無有與前後相關合者,則不成章法矣。
於是有伏完之託黃門寄書、孫亮之察黃門盜蜜以關合前後,又有李傕之喜女巫、張魯之用左道以關合前後。
凡若此者,皆天造地設,以成全篇之結構者也。
然猶不止此也,作者之意,自宦官、妖術而外,尤重在嚴誅亂臣賊子,以自附於《春秋》之義,故書中多錄討賊之忠,紀弒君之惡。
而首篇之末,則終之以張飛之勃然欲殺董卓;末篇之末,則終之以孫皓之隱然欲殺賈充。
由此觀之,雖曰演義,直可繼麟經而無愧耳。
【訳】
三国志演義』には、首尾に大きな対応があり、中間に大きな関連ポイントがある。
最初のほうの十常侍が起、最後のほうで劉禅の寵愛する者が出世することが結、また孫皓の寵愛する者が出世することが二つ目の結で、これらが大きな対応になっている。
最初のほうの黄巾の妖術が起、最後のほうで劉禅が巫女を信じることが結、また孫皓が巫女を信じることが二つ目の結で、これらが大きな対応になっている。
首尾に対応がありながら、中間の百回あまりの中に前後の関係がなければ文章作法の体をなさないであろう。
伏完が黄門に手紙を託したことは孫亮が黄門の蜜泥棒を察したことと前後で関係があり、李傕が巫女を好んだことは張魯が左道を用いることと前後で関係がある。
およそかくのごときはみなあたかも天地の造物のようであり、全篇の構造をなしている。
しかもなおこれにとどまらず、作者の意は宦官・妖術の他にも、乱臣賊子を厳しく誅することに最も重点があり、それによっておのずと『春秋』の義を附している。ゆえに書中には賊を討つ忠と君を弑する悪が多く載録されている。
そして、冒頭の終わりのほうでは張飛が起こって董卓を殺そうとするところで終わり、末尾の終わりのほうは孫皓がひそかに賈充を殺そうとするところで終わる。
これによって見れば、演義といえども春秋を継ぐべき者として恥じないのである。

 始めと終わりが呼応しているという構造の紹介と、わるいやつらをこらしめるというテーマの話とが混線していますね。

ここまで「『三国志演義』は~」「『三国志演義』は~」と怒濤のように三国志演義のレトリックについて語っていただきました。
この先では『三国志演義』を『史記』『列国志』『西遊記』『水滸伝』と比較し、『三国志演義』がイチオシだと主張して「読三国志法」の締めとなります。

「『三国志演義』の叙述は『史記』を彷彿とさせながら、一つの話にまとめるぶん『史記』よりも書く難易度が高い」

《三國》敘事之佳,直與《史記》彷彿;而其敘事之難,則有倍難於《史記》者。《史記》各國分書,各人分載,於是有本紀、世家、列傳之別。今《三國》則不然,殆合本紀、世家、列傳而總成一篇。分則文短而易工,合則文長而難好也。
【訳】
三国志演義』の叙事のよさは『史記』を彷彿とさせるが、叙事の難しさは『史記』に倍するものがある。『史記』は各国で書を分け、各人を分けて載せる。そのため本紀、世家、列伝の区別がある。『三国志演義』はそうではない。本紀、世家、列伝をほとんど合わせ、総合して一篇をなしている。分ければ文は短くなり作りやすいが、合わせれば文は長くなり難しくなる。

「『三国志演義』を読むことは『列国志』を読むのに勝る」

讀《三國》勝讀《列國志》。夫《左傳》、《國語》,誠文章之最佳者,然左氏依經而立傳,經既逐段各自成文,傳亦逐段各自成文,不相聯屬也。《國語》則離經而自為一書,可以聯屬矣,究竟《周語》、《魯語》、《晉語》、《鄭語》、《齊語》、《楚語》、《吳語》、《越語》,八國分作八篇,亦不相聯屬也。後人合《左傳》、《國語》而為《列國志》,因國多事煩,其段落處到底不能貫串。今《三國演義》,自首至尾讀之,無一處可斷,其書又在《列國志》之上。
【訳】
三国志演義』を読むことは『列国志』を読むのにまさる。
『春秋左氏伝』と『国語』はまことに文章の最もよいものであるが、『春秋左氏伝』は経によって伝を立ており、経は段ごとに文をなし、伝も段ごとに文をなし、互いにつながりがない。『国語』は経から離れて一書をなしており、つながりはあるのだが、結局のところ『周語』『魯語』『晋語』『鄭語』『斉語』『楚語』『呉語』『越語』と八国に分かれて八篇になっており、それにはつながりがない。後の人が『春秋左氏伝』と『国語』を合わせて『列国志』としたが、国が多く事柄が煩瑣で、結局のところ段落を繋げることができていない。
三国志演義』は頭からしまいまで一箇所の断絶もなく、その書は『列国志』より上である。

「『三国志演義』を読むことは『西遊記』を読むのに勝る」

讀《三國》勝讀《西遊記》。《西遊》捏造妖魔之事,誕而不經,不若《三國》實敘帝王之事,真而可考也。且《西遊》好處,《三國》已皆有之。如啞泉、黑泉之類,何異子母河、落胎泉之奇。朵思大王、木鹿大王之類,何異牛魔、鹿力、金角、銀角之號?伏波顯聖,山神指迷之類,何異南海觀音之救?只一卷漢相南征記,便抵得一部《西遊記》矣。至於前而鎮國寺,後而玉泉山,或目視戒刀,脫離火厄,或望空一語,有同棒喝:豈必誦「靈台方寸」、「斜月三星」之文,乃悟禪心乎哉!
【訳】
三国志演義』を読むことは『西遊記』を読むのにまさる。
西遊記』は妖魔のことを捏造し、経によらずに生まれている。『三国志演義』が帝王のことを実際に述べており、ちゃんと考証できるものであるのには及ばない。そのうえ『西遊記』のよいところは『三国志演義』もすべてもっている。例えば唖泉、黒泉のたぐいは子母河、落胎泉の趣向と何の違いがあろうか。朵思大王、木鹿大王のたぐいは、牛魔、鹿力、金角、銀角の号と何の違いがあっろうか。伏波将軍が聖をあらわし、山神が迷を導くたぐいは、南海観音の救いと何の違いがあろうか。たった一巻の漢相南征記が一作の『西遊記』に比肩するのである。先には鎮国寺、後には玉泉山にいたっては、あるいは戒刀を目視し火厄を免れ、あるいは空を望んで一語すること棒で喝を入れるに等しい。「霊台方寸」、「斜月三星」の文を誦じて禅心を悟る必要があろうか。

「『三国志演義』を読むことは『水滸伝』を読むのに勝る」

讀《三國》勝讀《水滸傳》。《水滸》文字之真,雖較勝《西遊》之幻,然無中生有、任意起滅,其匠心不難,終不若《三國》敘一定之事,無容改易而卒能匠心之為難也。且三國人才之盛,寫來各各出色,又有高出於吳用、公孫勝等萬萬者。
【訳】
三国志演義』を読むことは『水滸伝』を読むのに勝る。
水滸伝』の書き方のリアリティは『西遊記』のファンタジーに比べて勝っているものの、無から有を生じ、任意に物事を起こしたり滅ぼしたりしており、創作は難しくない。『三国志演義』が一定の出来事を叙述するため改変の余地がなく創作が難しい点において『水滸伝』は及ばない。また、『三国志演義』の人材の豊かさは、描写におのおの味わいが出ており、『水滸伝』の呉用公孫勝らにはるかに勝る。

「『三国志演義』がイチオシだ!!!」

吾謂「才子書」之目,宜以《三國演義》為第一。
【訳】
私が思うに、「才子書」の目録には、『三国志演義』を第一とするべきである。

水滸伝』や『西遊記』のことを、所詮はファンタジーやフィクションでしょ、と下にみて、『三国志演義』がイチオシだとおっしゃっていますね。
歴史準拠には歴史準拠のよさが、フィクションにはフィクションのよさが、ファンタジーにはファンタジーのよさがあると思いますが……
さて、『三国志演義』をイチオシしたところで、毛宗崗の「読三国志法」は終了となります。
お疲れ様でした!

まとめ:内容は二つ。前半は蜀漢正統論、後半は文章表現の巧みさ

毛宗崗の「読三国志法」には前半と後半とで二つの内容が書かれていました。
前半は蜀漢正統論が正しい歴史認識であるという朱子の認識にのっとった主張と、『三国志演義』では蜀漢正統論にのっとって三国志のお話が理解できるよ! という紹介でした。
後半は『三国志演義』の内容を振り返りながら、その文章表現の巧みさを分析し、読み物としての価値をアピールする内容でした。

前半部分は、「魏晉之陋轍(魏晋の下劣なやり方)」などと書いてあり、のっけから蜀が正義で義は悪という決めつけ感が半端ないですね。
どうりで三国志の主役は蜀であり劉備であると言われるわけです。
三国志演義』毛宗崗本がどういう本であるか改めて分かった気がします。

後半部分は怒濤のような分析ラッシュでした。よくこんなに細かく分析できるものです。毛宗崗さんはよほどの『三国志演義』マニアですね!
現代であればおそらく「しゃべりだすと長いオタク」にカテゴライズされる属性の人ではないかと感じました。

後半部分の分析は、ちょっとこじつけではないかと思う部分もありますね。
少しでもたくさん『三国志演義』の長所を挙げようとしたのでしょうか。
二千文字くらいにまとめていただければ読みやすかったのですが、一万字くらいの長大な文章になってしまっており、読んでいる途中で何度もくじけそうになりました。
たくさん褒めようとした結果がひいきの引き倒しになってしまっているようで、そんな毛宗崗さんの一生懸命さが愛おしくなりました。
三国志演義』の名シーンを振り返るという目的で眺めるなら、読むのもさほどつらくはないかもしれません。

それにしても長かったです!
孫子の兵法が六千字くらいですから、一万字程もある「読三国志法」に訳注をつけようと思ったらそれだけで新書一冊分くらいのボリュームは充分ありますよ!
どうりで『三国志演義』の翻訳本に「読三国志法」の訳が付いていないわけです。
三国志演義好きとしてはぜひ読みたい文章なんですけどね……
今回、ざっくりながら全訳ができてよかったです!

三国志学会の機関誌「三國志研究」第十五号には五藤嵩也先生の「毛宗崗『讀三國志法』訳注」が載っているそうです。
私は趣味にうつつを抜かしすぎて、また三国志関連の本を買いたいとは家族に言い出しにくくなってしまったので「三國志研究」第十五号はまだ見ることができていないのですが、来年の誕生日にでもなんとか入手してみたいと思っています。
自分で読んでみてからきちんと研究されている方の訳注を見たら、研究されている方のすごさがきっとよく分かるに違いないと思います。いつか読める日が楽しみです!

原文引用元:維基文庫 三国演義/附録3 読《三国志》法 最終閲覧日:2020年9月28日
 参照URL:https://zh.wikisource.org/zh-hant/三國演義/附錄3/